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『しんがりの思想』鷲田清一(角川新書) ブックレビューvol.1/竹林 篤実

INSIGHT NOW! / 2015年7月23日 7時0分

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竹林 篤実 / コミュニケーション研究所

『しんがりの思想』

日本にリーダーはいるのか?


2012年から、日本学術振興会では「博士課程教育リーティングプログラム」を始めた。その狙いは、博士号を取るような優秀な学生を、研究の場に留めるのではなく、俯瞰力と独創力を備えてグローバルに活躍するリーダーへと導くことにある。日本の現状を考えれば、これは必要な施策だろう。なぜなら、世界のリーダーの多くが少なくとも修士以上の学位を持つのに対し、日本のリーダーには大学院教育を受けた人材があまりいないからだ。
例えば、第三次安倍改造内閣をみれば、大学院修了者は塩崎氏、宮沢氏、太田氏、有村氏とわずか4名にとどまる。民間企業についても正確なデータはないものの、院卒リーダーの割合はそれほど高くないだろう。
もちろん大学院で学んだからといって、必ずしも論理的な思考力が培われるわけではない。けれども、学部レベルと比べれば、大学院でははるかに精緻な思考が求められる。そこで知的訓練を受けることが、思考力を高めることは間違いない。そうした能力を持つ人がリーダーとなることに反論はない。
これは裏を返せば、今の日本にはリーダーらしいリーダーが少ないことを表している。だからリーダー待望論がいわれ、リーダー育成のためのノウハウ本が多く出版されている。


リーダー育成本を読んでもリーダーにはなれない


確かにリーダーは必要だ。けれども、リーダーになるべき人は、リーダーになりたい人ではない。まず、この真理を頭にしっかりと入れておくべきである。そもそも「リーダー論に素直に従うようなひとほどリーダーにふさわしくない者はいないという、語るに落ちる事実がある(本書、P6)」
とはいえ、今の日本ほどリーダーが求められる社会もない。日本は既に少子(超)高齢社会に突入している。人口の絶対数が減り続けるのだから、国内経済は基本的に縮小するしかない。一方で、高齢者のための社会福祉費は、毎年1兆数千億円ずつ確実に膨らんでいく。こんな社会は、未だかつて世界のどこにも存在しなかった。お手本のない世界で進むべき方向性を示すことこそリーダーの役割だ。
ただし、これからの日本で求められるリーダーは、集団の「殿」を務められる人材でなければならない。これが本書の主張である。


「殿」に求められる役割

なぜ「殿」なのか。社会が総体として縮小し、市民性も脆弱になりつつある日本社会が、これから突入するのは「退却戦」だからだと本書は指摘する。そこでは「登山グループの『しんがり』のような存在、退却戦で敵のいちばん近くにいて、味方の安全を確認してから最後に引き上げるような『しんがり』の判断が、もっとも重要になってくる(本書、P140)」
「殿」が求められる理由、それは「右肩上がりの時代のリーダーたちがいちばん不得手な難問が山積しているという状況が目の前にある(同書、P141)」からだ。登山グループでは、最も力のある人が最後尾つまり殿につく。そして二番目が先頭に立ち、最も弱い人が先頭の次を歩く。最後尾にいれば、常にグループ全体を見通すことができ、何か問題があればすぐに駆けつけることができるからだ。問題がある時に最も力を必要とされるのがリーダーであるなら、やはり今の日本ほどリーダー、それも「しんがり型」リーダーが求められる社会はない。


日本の現状と将来、リーダーとしんがり

本書がもう一点、強く指摘するのが「サービス社会の行き過ぎによると市民性の衰弱」である。日本では、かつてはコミュニティが担っていた機能を、国家が体系的に担うようになった。例えば「出産、子育て、教育、看護と介護、看取りと葬送、もめ事解決、防犯・防災など住民の生命に深く関わることがらは、住民のインターディペンデンスのネットワークを緊密にあむものであった(同書、P96)」。ところが、これらすべてを「国家が専門家を養成して国家資格を付与し、それらを代行させるようになったのである(同書、P96)」
以前なら住民コミュニティによってまかなわれてきたことがらが、サービスとして提供されるようになった結果、コミュニティが崩壊しつつある。今後の東京で、最も危惧されるのは、コミュニティから外れて一人で暮らす老人の孤独死である。コミュニティの崩壊度に関しても、おそらくは日本は世界の最先端を突っ走っている。
では、この先どうするのか。決めるのは、私たちである。


未来を創ることができるのは、今の自分しかない


日本は衰退社会であると、本書は指摘する。現状は確かにその通りである。国家が抱える負債と経済成長の可能性をシビアに吟味すれば、日本がギリシアのような財政破綻に陥ったとしても何ら不思議はない。彼の国は国家財政の多くを公務員への報酬と年金に割いていた。翻って日本を見れば、国家財政の多くを社会福祉に回している。ギリシア、日本ともに付加価値を産まないセクターに偏った財政配分が行われている。基本的な構造はほとんど同じだ。
ただ日本が救われているのは、高度経済成長時代の蓄えがあるため、綻びが決定的に明らかにはなっていないからに過ぎない。もとより社会の衰退を放置したままで良いとは思わないし、未来に絶望する必要もまったくない。日本の技術力、研究者の底力は決して世界に引けをとらない。
ただし、高度経済成長のような右肩上がりを期待するべきではないだろう。かといって撤退戦を決めつける必要もない。現状をどう捉えるのかは、今を生きる一人ひとりが考えるべき課題である。
こうした現状認識のうえで、自分が所属するコミュニティをどう設定するのか。その中での自分は、どの役割を引き受けるのか。社会との関わりの中でしか人は生きていけない。その社会を、これからどうしていくのか。決めるのは自分である。
そんな思索へと導いてくれるのが、本書である。リーダーとは何か、市民社会とは何か、日本はこれまでどのように変化し、これからどうなるべきなのか。一度改めて考えてみたい人には、おススメの良書である。

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