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『医者は現場でどう考えるか』ジェローム・グループマン(石風社) ブックレビューvol.12/竹林 篤実

INSIGHT NOW! / 2016年8月18日 12時10分

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竹林 篤実 / コミュニケーション研究所

「ワトソン」くんの活躍

東京大学医科学研究所では、昨年より「ワトソン」を活用する臨床研究を進めている。具体的にはまず、2000万件以上にもなるがん研究の医学論文、1500万件になる創薬の特許情報などをワトソンに学習させる。いわゆるディープラーニングである。これによりワトソンは論文情報や特許情報などを理解するのだ。しかも単に理解するだけでなく、論文情報に時に(しばしば?)含まれる誤りまでを把握してしまう。

その結果を治療に活用する。がん患者の遺伝子を詳しく調べて、異常が起きている箇所を特定する。その異常データをワトソンに読ませる。するとワトソンは、これまでに学習した膨大な数の論文の中から関係するものを選び出す。次に論文に書かれた内容を元に、患者の遺伝子変化の中のどれが決定的に重要なのかを判断し、その治療薬などを提案する。

論文情報が少なかった時代には、一人の医者が人力で同じようなことをしていた。実際に今でも何人かの医者がチームを組んで対応することもよくある。けれども2000万件以上もある論文を(しかも毎年20万件以上のペースで増え続けてもいる)、何人がかりであろうと人がすべて読んで理解し、チームとして統一見解を出すことなどはもはや不可能である。

実際の例では、当初医師から急性骨髄性白血病と診断され、数ヶ月間治療を受けたものの容態の悪化した女性の遺伝子情報を、ワトソンに入力して分析した。その結果、10分ほどでワトソンは異なる病気であることを見抜いて、新たな治療薬を提案した。これに基づいた治療を受けた患者は、病状が劇的に回復し、無事退院したという。

医師の役割は何か

本書は、ワトソンではなく、生身の医師についての話である。その導入部では、ある一人の女性患者の例が挙げられている。彼女は二十歳の時に、食べ物を受けつけなくなった。かかりつけ医の診断を受けると、どこも悪くないといって制酸剤を処方されるだけ。けれども、何を食べても気分が悪くなり、食べたものを吐いてしまう。

そこでかかりつけ医が勧めたのは、精神科医に診てもらうこと。下された診断は、過食症を伴う神経性食欲不振症だった。もちろん、それで症状が収まるわけもない。ここから彼女の医師遍歴が始まる。

複数の内科医を訪れ、摂食障害患者を専門とする女医にたどり着く。その間に、内分泌科医、整形外科医、血液内科医、感染症の専門医、心理学者や精神科医などの診察も受けている。結局15年の間に30人近い医師の診断を受けたものの、身体機能は一向に良くならなかった。

体力を維持するために穀物やパスタなど消化しやすいものを食べ、それでも食べては気分が悪くなり吐く。最終的についた病名は、過敏性腸症候群だった。もちろん、それで病気が治るわけもなく、体重は37キロまで低下する。

そして、ある消化器の専門家と出会う。もちろん、彼もこれまでのカルテを見ている。けれども、彼は、カルテに頼るのではなく、病人に質問し、答えを聞き、先入観なしで診察し、これまでの医師とは違う視点(彼らの診断によって彼女は一向に回復していないのだから)から考えなおした。

果たして、これまでどの医師もやったことのない血液検査と内視鏡検査を行い、彼女の病気を突き止めた。病気は穀物に含まれているグルテンに対するアレルギーだったのだ。パスタなどを食べれば食べるほど、腸に炎症と障害を引き起こす。苦しむのは当然だ。

医師はどのように思考するか

医師は、人工知能ではない。だから、ワトソンのように2000万件もの論文を学習することは、物理的に不可能である。しかも人間だからこその、思考法から逃れることができない。

例えば、ヒューリスティクス(発見的問題解決法)である。

「研究によると、ほとんどの医師は、患者と会った時点で即座に二、三の診断の可能性を思いつき、中には四つや五つの診断を頭の中で巧みに操る器用な者もいる。それらすべての極めて不完全な情報に基いて仮説を展開させるのだ(同書、P42)」

あるいは代表性(レプリゼンタティブネス)エラーである。

「思考が一つの原型に導かれ、その原型に合致しない他の可能性を考えることを怠り、間違った原因による症状認識へと帰結してしまう(同書、P52)」

さらには確証バイアスもある。

「自分の予想どおりの結果のために、情報を選択して受け入れたり無視したりするこの過ちのもとは、ツヴェルスキーとカーネマンが「アンカリング」と呼んだ思考である。錨を下ろすということは、複数の可能性を考えず、単一の可能性を速やかに見つけ、固執する(同書、P76)」

医師も人であるため、こうした思考の罠にハマる可能性は否定できない。あるいは探偵ホームズのように「本来ならあるべきなのに、現実には見えていないものに気づく」ことは、まずない。人は自分の見たいものしか、なかなか見えないものだ。

我々は、医師とどう接するべきか

医師も間違うことがある。これを前提として医師と付き合うことが大切だ。だからといって、すぐにセカンドオピニオンに走れとか、目の前の医師に対して敵対意識を持てなどという話では、まったくない。

患者としてできるのは、医師の注意力を喚起することであり、医師の思考力の幅を広げてもらうことだろう。具体的には、次のような質問をしてみることだと、本書は勧める。

「他に何が考えられますか」

「辻褄が合わない点がありますか」

「私の問題は、もしかして一つだけではないのではないですか」

あるいは

「症状が起きている患部の周りには、他にどんな臓器があるのですか」

「私の病気は、最悪の場合は何ですか」

といった質問を投げかけてみるのも良い。

相手も人間である。だから、典型的な思考パターンにハマるだけでなく、その時の気分や気性に左右されることもあるだろう。あなたのどこかを、第一印象で気に入らない、と思った可能性もないとはいえない。

けれども、相手が人であるからこそ、あなたに対して親身になって話を聞いてもくれるのだ。これだけは、今のところワトソンくんではどうにも対処できない技である(Pepperくんとワトソンくんが連携するとのニュースがあったから、将来的には、医療での会話応用も考えられているのかもしれないが)。

これまで取材で多くの医師から話を聞いてきた。そのほとんどすべてが、素晴らしい人ばかりである。みんな一様に人の命を救う使命感に燃えている。だからこそ、診断時には、そんな医師の手伝いをするぐらいのつもりで、医師と関われば良いのではないか。そんなことを本書は教えてくれる。

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