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自分のできないこと・できること・すべきこと:仏陀の教え/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2017年5月16日 11時16分

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純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

 必然性は強い。世界を変えようと、きみがなにかアクションを起こしても、ムリ。ただでさえ、大河に一石を投じても意味がない。小さなことでさえ、きみと考え方が違うのか、それとも、アクションを起こすきみに嫉妬してか、その狭い世界にかならずきみとは反対のアクションを起こすやつもいて、どちらも相殺され、なにもなかったことになり、必然の予定通りになってしまう。

 こんな風に永遠に世界に振り回され続けるのは嫌だ、ということで、古代インドのウパニシャッドという秘教は、解脱を考えた。世界は、本来は大きな力、ブラフマン(梵)だが、その波打ち際の潮だまりのようなものとして、世界から切り離されてしまい、世界の波に翻弄されている「我」がある。これが翻弄されるのは、その前の波、つまり前世の因業の応報。この悪循環を断ち切るために、ウパニシャッドは、自分を無にする、という極端な方法を試みた。因である自分が無になれば、果も無くなり、自由なブラフマンに回帰できる、というのが理屈。

 では、具体的に、なにをするのか、というと、とにかくなにもしない。動かないのはもちろん、食べない。それどころか、息もしない。しかし、荒廃する波乱の時代にあって、当時、こんな自殺のようなことを本気で考えて実行する人々が少なくなかった。仏陀もその一人。それで実際、ほとんど死の寸前まで突き進んだ。けれども、仏陀は死にかかってようやくわかった。解脱したいなどという考えの方が、まさに煩悩。それこそが自分を苦しめる元凶。

 彼は自分の考えを、四法印の教義にまとめた。すなわち、諸行無常、すべての物事は転変する。諸法無我、その転変に我が関わる余地は無い。一切行苦、だから、我は転変から引き剥がされて苦しむ。涅槃寂静、しかし転変に我が関わろうとしなければ引き剥がされもせず、平安を得られる。

 この発想の転換の根本は、彼の因縁論だ。ウパニシャッドを初めとして、我々は原因をどうにかしようとする。だが、世界の転変ともなると、その必然性は、人の力で留めたり、変えたりできるようなものではない。そんな巨大な世界の動勢に抗えば、ただその転変に押しつぶされるだけ。

 仏陀の独創的なのは、この因が本当の因ではない、というところ。問題は、世界の転変ではない。世界の転変をどうにかしようなどという自分の煩悩こそが因。そして、どうにかしないといけないのは、因ではなく、果だけ。たしかに因は、もはや人の力の及ばない。だが、因があっても、果が生じるとはかぎらない。因から果が生じるには、条件、縁が揃い整わないといけない。逆に言うと、因をほったらかしておいても、縁の方さえ絶ち切ってしまえば、果は生じない。

 世界は転変する。としても、自分がそれをどうにかできる、どうにかしようなどと思わなければ、それだけのこと。最初から、なんの問題も無かったようなもの。人は、生まれ、老い、病み、死ぬ。そういうもの。その摂理に逆らって、いつまでも若くいたい、とか、永遠に死にたくない、とか、わけのわからないこと、できもしないことを求めるから、自分で自分の首を絞めている。それどころか、現実をわきまえず、そのとき、そのときにすべきことをしないから、そのせいで、次々にツケを作り出し、いよいよ後に自分を苦しめることになる。

 顔も見たくないやつがいる。じゃあ、そいつを殺すか。でも、そんなことをすれば、いよいよそいつは死んでなお、きみの人生にまとわり付き続けるぞ。顔を見たくないなら、見なければいいだけ。引越するなり、転職するなり、縁を切る、だけで、解決。もっと簡単なのは、顔を見たくもない、とすら思わないこと。そいつは、そこらの石ころ。たとえ会っても、無いも同然にほっておけばいい。世界はあるようにあるだけ。だから、苦など、世界の側には無い。ただ、きみの内側から、きみが自分で作り出して、自家中毒になっているだけ。

 世捨て人の連中が作り出した狭い仏教だと、なんでもかんでも縁を切って、世間から隔絶された自分の心の中だけの平安な世界を作り出そうとするが、じつは、逆に世界を取り込む方法もある。きみはもともと良い因(「仏性」)も持っている。なのに、その芽がでないのは、縁が無いから。どんな種も、耕した土に撒き、水をやり、日を当ててやらなければ、伸びない。芽が出ない=種が無い、のではない。世話をしてやる、その最適最善の縁を求め与えてやれば、きちんと実は成る。

 自分のできもしないこと、世界の方を自分の思いのままにしようとすること。自分のできること、世界を自分の思いのままにしようなどと、できもしない煩悩を抱かないこと。そして、自分のすべきこと、自分がもともと持っている良い種に良い縁を与え育て、その実で世界を救うこと。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。近書に『アマテラスの黄金』などがある。)

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