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井上尚弥を“モンスター”に 大橋ボクシングジム会長に聞く「持続可能なジム経営」

ITmedia ビジネスオンライン / 2024年8月31日 11時3分

 ボクシングジムにM&Aはないのかと聞くと「特殊な世界なので難しいのが現実ですね」と話す。市場原理と会員への選択肢という観点から考えると、業界の閉鎖性の改善は大きな課題と言えそうだ。M&Aが実現すれば、所属ジムを失う選手を救うことにもなる。

 こうして開業当初の大橋会長は、価格設定の柔軟性を欠いた状況下での経営を強いられた。そこで「まず練習生をたくさん集めることに専念した」と話す。

 「最初は会員の人とは友達のような感覚で付き合いました。対等な立場で飲み会もしましたね。『強くする=練習を厳しくする』わけじゃないですか。そうすると(会員が)やめていってしまうんですよ。会員を集めるためには、とにかく楽しくするしかなかったんです」

 特に退会は経営に響いてしまう。大橋会長が経営者として優れていたのは、時代の変化を読み取っていたことだった。

 まずは「経営の安定が第一」と割り切り、チャンピオンを育てるための厳しい練習が出来なくても、そこに葛藤は感じていなかったという。時には携帯で話をしながらサンドバッグを打っていた練習生もいたが、それも容認していた。

 「やっぱりその人に合わせたコミュニケーションの取り方が大事ですね。今でも、あいさつをしない子どもに無理やりあいさつを求めることはしていません。周りの子が『こんにちは』と言っているのを見て『そういうのがかっこいいな』と思えば、自然とあいさつをし始めるのです。そういうジムの雰囲気作りを心掛けてきました」

 令和の時代に入り、上司が部下を叱る光景も減っていると聞く。度を超えると退職する若手社員も出るなど、距離感に悩む管理職は多い。大橋ジムは当初から「昭和のやり方」を相手に強制していない。自ら寄り添う形を先取りしていたのだ。この考え方は、その後の「世界チャンピオン量産」につながっていく。

●名刺広告販売など興行にもひと工夫

 経営安定の次のステップは興行の成功だった。プロ選手も少しずつ育ち、1996年には横浜文化体育館(現横浜BUNTAI)で、「全て(C級ボクサーが闘う)4回戦」の興行を手掛けた。テレビ放送はなく、収入はチケット販売のみ。そこで大橋会長は一計を案じた。大会のパンフレットに、新聞や雑誌の新年号にある年賀の名刺広告に近い広告スペースを作り、販売したのだ。

 「3万~5万円で、100件~200件ぐらい売りに行きました。興行時の選手の戦績は5戦5敗でしたが」と苦笑いしたが、このアイデアはうまくいった。元世界チャンピオンが自ら広告営業をするわけだから、多くの企業が広告を入れてくれたのだ。努力して世界チャンピオンになった実績がここで生きた。

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