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井上尚弥を“モンスター”に 大橋ボクシングジム会長に聞く「持続可能なジム経営」

ITmedia ビジネスオンライン / 2024年8月31日 11時3分

●ジムのDNAは「真面目に努力するスタイル」

 地道にノウハウを積み上げていったことによって、自身の興行を軌道に乗せられた。興行の安定にめどが立てば、次は強いボクサーの養成だ。恩師の米倉会長に倣い、重要な時には選手のそばにいることを心掛けた。

 「多くのチャンピオンを育てた米倉会長をまねすれば、いけると思っていました。例えばジムが大きくなると、普通のジムの会長は営業などでジムにいないんです。でも米倉会長はスパーリングの時は、絶対にジムにいました」

 そして1995年、その後の大橋ジムに大きな影響を与えるボクサーが入門してくる。のちに大橋ジムで初の世界チャンピオンになる川嶋勝重(階級はスーパーフライ)だ。

 大橋は「最初、川嶋には才能を感じず、プロテストを受けるのを2回止めた」という。井上や八重樫東(大橋ジム所属で3階級制覇。現在、同ジムトレーナー)のように才能あふれるタイプではなかったのだ。そこからコツコツとかんばって世界戦にまで漕ぎつけた。だが、肝心の試合前にケガをした。結果は善戦したものの敗北。1年後に再戦となった。だが再び直前に「胸が痛い」と言い出した。

 「そのとき『おまえは世界チャンピオンになれない運命だよ』って口まで出かかったんですが、寸前で言うのを止めました。感情的に言ったらアウトだなと思ったんです。代わりに『今まですごい練習をやってきたから、100%できるから。絶対チャンピオンになれるよ』って言い直したんですよね」

 結果は川嶋が勝ち、ジム初の世界チャンピオンが誕生した。

 「言霊っていうのかな。言葉の重要さを感じました」

 これが経営者としても指導者としても1つのターニングポイントになったと語る。大橋会長は「初めてのチャンピオンが井上でも八重樫でもなく、川嶋だったことに意味がある」と話す。「(川嶋が初のチャンピオンで)運がよかったです」と言い切るほどだ。

 「川嶋は友人のボクシングの応援に来て、それを見て憧れて21歳で東芝の下請け企業を辞めて、私たちのところに来た叩き上げです。センスはなかったけど、努力だけで世界チャンピオンになった。“3分間練習”の集中力は井上すら超える凄さがあるんです。川嶋の真面目に努力する姿を八重樫は肌で感じて王者になりました。その八重樫が努力する背中を見た井上もどんどん変わっていきました」

 才能の有無にかかわらず、ひたむきに努力するジムとしてのDNAを、時間をかけて形成したのだ。ローマは1日にして成らず、である。

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