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「地雷を踏んだらサヨウナラ」戦場ジャーナリストの矜持

Japan In-depth / 2016年5月7日 20時58分

「地雷を踏んだらサヨウナラ」戦場ジャーナリストの矜持

                   久保田弘信(フォトジャーナリスト)

初めてアフガニスタンの戦場へ向かう時、先輩のカメラマンが「戦場に行くならこの写真を見ておきなさい」と言って沢田教一の写真集を見せてくれた。

写真集の戦場における戦闘の写真は、意外なことにあまり印象に残らなかった。後々まで記憶に残っていたのはピューリッツァー賞を受賞した「安全への逃避」だった。それは戦闘シーンではなく戦争の中で人が生き延びようとする写真だった。

ロバート・キャパという戦場カメラマンは知っていたのに、日本人の大先輩である沢田教一を知らなかった僕。先輩カメラマンのおかげで、撮るべき、伝えるべきは、そこにいる「人」なんだと思った。70年の歴史を持つピュリツァー賞写真部門。過去、受賞した日本人記者は3人いる。そのうち2人が戦場カメラマンだ。酒井淑夫と沢田教一。圧倒的に沢田教一の方が有名だ。それは沢田教一が戦場で命を落とし、酒井淑夫が日本の鎌倉で死去したからだろうか。そして、ピューリッツァー賞を受賞していなくても一ノ瀬泰造を知る人は多いのではないだろうか。「地雷を踏んだらサヨウナラ」という台詞はあまりにも有名だ。

沢田教一は1961年、UPI通信東京支社に入社し、ベトナム戦争が激化すると現地取材を強く希望したが受け入れられず、休暇をとって自費で取材に向買った。この時の写真が認められ、沢田はUPIの特派員としてベトナム取材を始めることとなった。

後からやってくる戦場カメラマンが負傷、他界していく中、沢田は戦場での勇敢さと豊富な経験で活躍し続けた。しかし1970年10月28日、カンボジアの取材中に国道2号線で襲撃を受け、帰らぬ人となった。

酒井淑夫はUPI通信東京支社所属。ベトナムへの派遣を自ら希望し、1967年から戦争終結まで取材を続けた。大雨の中ポンチョに身を包んで警戒にあたっている米兵の写真。「より良きころの夢」と題されたこの写真はピューリッツァー賞の特集部門受賞第1号なった。

沢田、酒井が活躍した後、一ノ瀬泰造が現れる。一ノ瀬はUPI通信社東京支局でアルバイトをしていたが、1972年1月に自費で印パ戦争の取材に旅立ち、三月にはカンボジアに入国。一ノ瀬こそがフリーの戦争カメラマンとして我々の先輩にあたる人かもしれない。

一ノ瀬はカンボジアにおいて政府軍にフィルムを没収され「政府軍にとって好ましからざるジャーナリスト」との理由でカンボジアを強制退去になっている。それでも一ノ瀬はカンボジアを目指した。ベトナムのサイゴンから韓国の弾薬輸送船でプノンペンに向かった。

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