EU「離脱」騒動の落とし穴 英国は本当に変わるのか
Japan In-depth / 2016年7月2日 18時0分
渡辺敦子(研究者)
「渡辺敦子のGeopolitical」
EU離脱投票から一週間を経てなお混乱深まる英国で30日、ボリス・ジョンソン市長が、既に辞任を表明しているキャメロン首相の後任として出馬しないことを表明した。離脱派のシンボル的存在であった彼の出馬は、離脱派勝利の必然的帰結と見られていただけに、驚きをもって迎えられた。
代わりに出馬を表明したのは飛行機に乗るのも苦手で首相適任者でないことを自認するマイケル・ゴーヴ氏。離脱キャンペーンでは協力関係にあった2人だけにさまざまな憶測を呼んでいる。ジョンソン氏が絶好の機会を逃したその本意は、歯切れの悪い決断会見からは伺いしれない。ただ、元ジャーナリストで世論の潮目を見るには長けているはずの彼が、今はその時ではないと読んだことは間違いない。
英国の離脱は決定事項のように報じられているが、実際にはそうではない。ガーディアン紙に掲載されたコラムによれば、国民投票に法的拘束力はないという。最終決定は議会に委ねられる可能性が高いが、前回の記事で説明したように、保守党、労働党ともに公式には残留支持である。では議会が国民投票を覆した場合民意の裏切りになるかというと、おそらくそうは受け止められない。実際、人々の投票行動は、政治的傾向、社会階層などで単純に割り切れるものではなかった。直近の報道からは「頑固な高齢者対未来を夢見る若者」などという一見固定的な対立の構図が浮かび上がるが、実際には、比較的全体像の見えやすい残留派に対し、実は「離脱派」とは、曖昧な人々の集まりだったのではないか。
たとえばその数日前のガーディアン紙によれば、アイルランド大使館にパスポート申請に訪れる人々が増えている。もちろん離脱の最終決定を前に移動の自由を確保しておこう、という動きなのだが、同紙によれば、申請に訪れた人の中には、離脱に投票したものの、早くも変心した“Bregret”組も少なからずいる。日本人には少々わかりにくいかもしれないが、この人々は両親のどちらかがアイルランド出身で、二重国籍をもつ。これらの人々は複数の国家アイデンティティを持ち、その時々によって自己認識を変える。
投票はヨーロピアンとしての自己同一性を問うはずのものだったが、離脱にせよ残留にせよ、ここに登場するのはBritishかIrishかという国家に対する帰属意識だ。だがこの「国家」は、「ナショナリズムの復活」というほど強い力を持たず、むしろベネディクト・アンダーソン氏の言う通り、現実というより人々の想像の中にある「想像の共同体」である。
一方で、経済的なグローバル化は国家主権を実質的に浸食し続けてきた。このため「国家」の矛盾は人々の生活に入り込み、アイルランド大使館に離脱派までもが殺到するように、矛盾した行動を取らせる。政治的利益と経済的利益が拮抗した場合、大抵の人は経済的利益を優先する。国民投票が問うたのは政治的自己だが、多くの離脱派は投票後、それが経済的自己とは必ずしも一致しないことに気づいた。矛盾の中で人々に想像される国家像はますます曖昧になり、人々は複数の自己同一性に翻弄され続ける。そして結局、驚きの投票結果は最終的には、何の実質的変化ももたらさないかもしれない。元々米国出身のジョンソン氏は、国家が示すアイデンティティの脆さと強さという二面性を知っているのだろう。だが、経済的利益もなんら明らかではないのだが。
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