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保守主義の巨星リムボウ氏逝く

Japan In-depth / 2021年2月27日 11時0分

保守主義の巨星リムボウ氏逝く




古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)





「古森義久の内外透視」





【まとめ】





・保守派の論客、ラッシュ・リムボウ氏が2月17日死去した。





・バイデン大統領もリムボウ氏の政敵の民主党ながら弔意を表明。





・保守主義の思想を一般に広め、トランプ前大統領から「大統領自由勲章」も授与された。





 





アメリカの保守主義とはなにか。





この大きな命題への答えに向かっての私なりの模索では、ラッシュ・リムボウ氏の果たした役割は大きかった。リムボウ氏といえば、アメリカで長年、最大の聴取者を持つ超人気のラジオのトークショーの論客だった。





この30年以上、全米のあらゆるラジオの語りかけ番組ではナンバーワンの人気者だったのだ。





そのリムボウ氏が2月17日、肺癌で死去した。70歳だった。





リムボウ氏と親しかったドナルド・トランプ前大統領はすぐに追悼の声明を出し、





「彼はアメリカの保守主義の伝説だった。他者をもって代えがたい友人でもあった」と、述べた。





ジョージ・W・ブッシュ元大統領も「彼の主張に同意でも不同意でも、アメリカを愛し、アメリカの政治を変えた人物としてだれもが敬意を表するだろう」という声明を出した。





現職のジョセフ・バイデン大統領もリムボウ氏の政敵の民主党ながら報道官を通じて「アメリカ国民の多くに愛されたアメリカを愛した人物の死を悼む」という弔意を表明した。





私にとっては30数年前に二度目のワシントン特派員として赴任して、アメリカ政治に改めて触れたころの「教師」の一人がリムボウ氏だった。





私が初めてワシントンに居を定めた1976年はまだリベラリズムが政治理念の主流だった。戦後ずっと続いてきた民主党リベラル派の「大きな政府」や「社会福祉最優先」、対外的には融和志向の「国際協調」を柱とするイデオロギーがまだ多数派だった。連邦議会の上下両院も民主党が多数を占めてきた。





だが民主党リベラル派の最後の大統領ジミー・カーター氏は内政外交いずれも失敗の連続だった。1981年には共和党保守派のロナルド・レーガン大統領が登場した。アメリカの保守主義が初めて国政の主流派、多数派となった歴史的な転換だった。









▲写真 ロナルド・レーガン元米大統領(1998年) 出典:© Wally McNamee/CORBIS/Corbis via Getty Images





その保守主義の思想を一般大衆にきわめてわかりやすい形で広めたのがリムボウ氏だった。1988年から始めた全米向けのラジオの政治トークショー「ザ・ラッシュ・リムボウ・ショー」は空前の人気ラジオ番組となった。私も車の運転での職場への往来などで、よくその番組を聴いた。





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