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地下鉄サリン事件を忘れない

Japan In-depth / 2021年3月20日 23時45分

地下鉄サリン事件を忘れない




安倍宏行(Japan In-depth編集長・ジャーナリスト)





【まとめ】





・1995年3月20日、地下鉄サリン事件が発生。





・地下鉄駅前にサリンを吸い込んだ人たちが多数横たわっていた。





・未曽有の都市テロ事件を風化させてはならない。





 





1995年3月20日、私は午前7時半ごろ、東京メトロ日比谷線神谷町駅(東京都港区)近くで他社の記者達とある取材の為に待機していた。その前の年に破たんした東京協和信用組合と安全信用組合の受け皿銀行、東京共同銀行(のちの整理回収機構)が営業を開始する日だったのだ。





その数10数名もいただろうか、記者だけでなくスチルカメラやムービー(テレビカメラ)もいたが、私が在籍していたフジテレビのカメラマンはまだ到着していなかった。





その時、一人のスチルカメラマンが私たちの方に駆け寄ってきて叫んだ。「たくさん人が駅で倒れている。大変なことになってるぞ。煙が出たとかいう話もある」





みな顔を見合わせた。「トンネル火災か?」ふとそんな思いが脳裏をよぎる。しかし、自分たちはまもなく営業開始する新銀行の取材に来ている。この現場を離れるわけにはいかない・・・。動こうとしない私たちに向かってそのカメラマンは畳みかけるようにこう言った。「とにかく!早く行ったほうがいい!」そういうや否や彼はまた駅の方へ駆け出すではないか。





ただならない雰囲気に気圧されるように、私たちは一斉に脱兎のごとく彼の背中を追った。神谷町の交差点まで100メートルくらいだったろうか、駅の地上出口に辿り着いた私は目を見張るしかなかった。





そこには10数人の人が横たわったり、へたり込んでいる。異常な雰囲気から、単なる火事ではない、と思った。みな口をハンカチで抑え、ぐったりしている。すすり泣くような声やうめき声も聞こえてくる。中にはもがき苦しみながら転がる外国人の姿も。見ると白目を剥き、口元から泡を吐いて、意識がほとんど無い。こんな症状を見たことなかった私は動転した。









▲写真 地下鉄サリン事件 築地駅前 出典:Yamaguchi Haruyoshi/Sygma via Getty Images





フジテレビのカメラマンはまだ到着していない。午前8時半あたりに発注していたからだ。そうこうしている間に他社はどんどん取材を進め、カメラを回している。焦る。





そうこうしているうちに警察が規制線を張り始めた。メディアは追い出された。その時私は中にいる警察官だったか消防官に叫んだ。「あの外国人の通訳が出来ます!」「よし、中に入って!」





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