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【エンタがビタミン♪】コウメ太夫に「ジャニーズ事務所に乗り込んだ」過去 父親のコネで「マセキ芸能社入り」画策も

TechinsightJapan / 2021年7月6日 12時4分

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5日放送のラジオ番組『ナイツ ザ・ラジオショー』(ニッポン放送)のゲストとして、ピン芸人のコウメ太夫が出演した。ラジオにもかかわらず白塗り、着物姿でスタジオ入りしたが、夏バージョンで買ったばかりの浴衣姿だった。パーソナリティのナイツと同じ漫才協会に所属し、浅草東洋館の舞台に立つコウメ太夫を「お笑い界の長い歴史の中で、突然現れたモンスター」だと塙宣之は評する。父親は芸能プロデューサー、母親は元女優という家庭で育った彼は児童劇団に所属していた時期もあり、「将来は芸能に携わる仕事がしたい」と思い続けていたという。

小学生時代はやんちゃでお喋り、授業中もうるさいので教壇の横に座らせられていたというコウメ太夫。だが中学生になると突然不登校になり、公立に通っていたが私立に編入させられたそうだ。「不良だったの?」と塙宣之が尋ねると、そうではないらしい。いじめを受けた記憶もないが学校には行かず、ただひたすら家でテレビを見ていたという。高校には進学したが、お昼に弁当を食べてすぐ帰宅するなどいつ不登校になっても不思議ではない状態だった。しかし「やればできるんだから」と熱心に自分を気にかけてくれた教師のおかげで勉強に身が入るようになり、大学への進学を志すようになったそうだ。

その頃マイケル・ジャクソンに夢中だったコウメ太夫は、日本で「歌って踊る=ジャニーズ」だと考えて17歳の時にジャニーズ事務所へ履歴書を送り返事を待った。しかし半年経っても音沙汰がなく、「おかしいな、遅いな」とジャニーズ事務所に直接合否を確かめに行った。そこで「才能がある子にね…まぁ帰ろうか」とやんわり追い返されたことで、ジャニーズ入りを諦めたという。その後、梅沢富美男劇団に在籍していたこともあるが1997年にお笑いに転身し、「JUMP‐2000」というコンビを組んで活動を始める。

この時期に、ナイツとコウメ太夫には思わぬ接点があった。ナイツが所属するマセキ芸能社の社長とコウメ太夫の父親が知り合いだったので、コネで同事務所に入れてもらおうと画策したのだ。しかし最初のライブでJUMP‐2000は大スベリし、「コネで出たのに、お前らムリだわ」とすぐクビになってしまう。このライブをナイツも見ていたそうだ。

その後JUMP‐2000は解散し、「貴けんだー」というコンビでソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)に所属。しかしコンビはすぐに解散となり、ピン芸人として再出発することになる。そして2005年『エンタの神様』(日本テレビ系)に初出演しブレイク、SMA所属の芸人で最初に売れたのはコウメ太夫だったのだ。

ところで梅沢富美男劇団ではCDデビューの話があったほど、コウメ太夫は歌が上手いらしい。十八番は井上陽水と安全地帯のデュエット曲『夏の終りのハーモニー』だそうで、機会があればぜひ聴いてみたいものである。

画像は『平野ノラ Nora Hirano 2021年7月5日付Instagram「夏バージョンでした」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 みやび)

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