“異端のがん医師”近藤誠 大学病院での孤独な闘い

WEB女性自身 / 2013年6月17日 7時0分

慶應義塾大学病院放射線科医の近藤誠先生(64)の“孤独な闘い”は、30年におよぶ。「出世もあきらめて、万年講師だよ」と自嘲したように語ったが、悲壮感はない。社会的な議論を巻き起こした著書『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋刊)から17年。現在『医者に殺されない47の心得』(アスコム刊)が76万部を超えるベストセラーとなっている。
 
その主張は一貫している。医師や薬に頼りすぎない。抗がん剤も大きな手術も、がん検診もほとんど必要ない。特に早期発見されるような自覚症状のないがんは「がんもどき」で、放っておいてもなんら影響がないという『がんもどき理論』が有名だ。
 
「多くの有名人が、がんの手術をしてすぐに亡くなっているでしょう。たいていは手術のせい。放っておけば半年や1年では死なない。これまでのがん治療は“信仰”みたいな部分もあると思う。その意味で、医療と宗教は似ているが、宗教と違って医療は人を殺すことがある」(近藤先生・以下同)
 
最初に論争を巻き起こしたのが’80年代。乳がん患者への乳房温存療法だった。現在では一般的な治療だが、当時は乳房を全摘出するのが標準。そんなとき、所属元である慶応大学の外科が全摘出するのは、犯罪行為と名指しして雑誌に発表した。それ以降、大学病院内では孤立状態が続く。
 
「手術でポンと切り取ったおっぱいが無造作にお盆にのせられた様子を見て、無残だなと思ったよ。でもね、当時はほかに方法がなかったし、僕がどうこうしようだなんて思いもよらない」
 
と、研修医生活1カ月ほどで、初めて乳がんの手術に立ち会ったときをふり返る。当時はハルステッド法という乳房の全摘出が当たり前の時代。転機は31歳。担当教授の推薦で米中西部の研究所に1年留学。そして、慶応病院に戻って実践しようと考えたのが、留学で知った乳がんの乳房温存療法だった。だが、その認知度は低く、慶應の外科も理解がない。もっと温存療法について知ってほしい、全摘手術への疑問を世に伝えたい……。そのたぎる思いが雑誌への手記につながっていく。
 
「雑誌(’88年『文藝春秋』手記『乳がんは切らずに治る』)が出た翌日からほかの科からの紹介者がただの一人も来なくなった。これは今日に至るまで続いている。たまに新人が事情を知らずに患者を回すけど、上司に怒られているんじゃないかな(笑)。でもね、ワイフは“僕の医療”に決して反対しなかった。たくさんのアドバイスやデータをくれたし、僕にとっては誰よりも信頼できる医者でした。当時も今も」
 

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