男性から性の対象として見られるのが気持ち悪いんです|性活相談

女子SPA! / 2019年7月10日 15時47分

写真はイメージです(以下同)

【AV男優・森林原人の性活相談 第149回】

経験人数9,000人、出演本数10,000本以上、下は18歳から上は69歳まで、性別の垣根を越えてさまざまなエッチを経験するAV男優・森林原人が、女性の性に関するお悩みに答えます。

◆男性から性の対象として見られるのが嫌です

相談者:麻生・未婚・28歳

 こんにちは。麻生と申します。

 私は男性から性の対象として見られることが嫌でたまりません。女性が消費される道具として見られている気がしてならないのです。「女の子っぽいね」と言われると馬鹿にされたようだし、気持ちが悪いです。

 しかし男性自体が嫌いということでもなく、もちろんいい人がいればお付き合いしたいです。趣味が合う、人として尊敬できるかなど、精神的な繋がり且つ対等な関係を築きたいのです。これでも恋人関係は成立しますでしょうか?

 でも、男性ってそういうことを求めている人は少ないように感じるのです。やっぱりエロいことがしたいんですよね?

◆森林の回答

 麻生さんが望むように、趣味が合って、人として尊敬できて、精神的に繋がり、かつ対等な関係を築ける相手を見つけることは相当難しいです。でも不可能ではありません。実際にそういう人たちもいます。

 そういう人たちの共通項を僕なりに見出すと、それぞれが個人として自立していて、なおかつ相手のことを個人として尊重できています。まとめると「自他の自立の尊重」ができるということです。

◆自立と依存と孤立について

 自立とは、文字通り自分1人で立てるようになることです。それには、自分の孤独を受け入れなければなりません。自分という人間は1人の存在であり、自分のことは自分でするしかないんだ、自分は自分でしかないんだと受け入れるのです。

 でもこれを頑張りすぎると孤立します。どうせ自分は1人なんだから他者は関係ないんだ、どうでもいいんだと他者の存在を認めなくなると孤立します。それは、他者から見た自分(他者から見たら自分は他者)の存在を認めないことにもなります。つまり、他者も自分もどうでもいいとなり、誰のことも大切にできなくなります。

 一方、自立できない状態を依存といいます。他者に寄りかかることでしか生きていけないので、寄りかかられた相手は、時間とともに負担に感じ疲れてきます。だから投げ出したくなるのですが、依存したい方からすると、投げ出されたら困ってしまうので、その依存先から離れないでいられるように執着したり束縛するのです。依存の悪循環はこういったわけです。依存の悪いところは、自分も相手も1人で立っていないので、自分本来のパフォーマンスが発揮できなくなるのです。

 ですが、現実なことを言えば、誰かの力を借りずに生きている人なんていません。常に自立していることは難しいので、フラフラしながらもなんとか自立していて、時々倒れそうになった時だけ誰かに寄り掛かりしばらく休ませてもらう。そしてまた立ち直る、というのがいいと僕は思っています。

 また、依存先はメインが1つと、サブが複数あるのが理想です。1番大切な人が1人いて、その他に心を許せる人が数名いるといった感じです。これは、熊谷晋一郎さんが話していたことなのですが、依存先を複数持つことで、依存される相手も少ない負担で済むといった理屈です。

 麻生さんが理想とする相手は、麻生さんの自立も、本人の自立も尊重しつつ、お互いの存在や意思を大切にできる人です。

◆性欲を認めつつ、モノ扱いされることは否定

 これを踏まえた上で、性欲を2人の関係に持ち込んでみます。前回や前々回の回答で説明したように、性欲にはいろいろな種類があります。麻生さんが嫌悪しているのは、排泄の処理の道具として自分が消費されることですよね。それはごもっともです。人としてではなくモノとして扱われているのですから嫌になって当然です。

 ですが、快楽を求める欲求が人間にはあるということは認めるようにしてください。性的な行為をして快楽を求めるのは、人として自然なことです。文化や宗教によってはそれを悪としていますが、僕はそうは思いません。悪なのは、自分の快楽のために他者の意思を無視し利用したり搾取することです。

 快楽を求める過程で、相手を必要とする場合は、相手が嫌がる事はしないということが絶対で、相手が何のプレッシャーも感じず自由意志のもとでOKする事なら何をしてもいいと僕は思っています。その時は、それこそ第三者が口を挟むことではありません。

 なぜ、快楽を求める性欲を認めるべきかというと、認めないということは自分の性欲を認めないということにもなり、自分の中にもし性欲が芽生えてきた場合に、自分のことを嫌悪するし否定することになります。それはとても辛いし、人として不自然だと思うのです。あって当たり前のものは自然なまま受け入れるべきです。

◆「エロ=悪」ではない

 それから、麻生さんのことを性の対象として見てくる男のすべてが、(エロい)モノとして見ているわけではないです。自分の快楽欲を満たすために最適な道具として見ているのではなく、1人の人間(個人)として魅力を感じ、親しくなりたい、触れ合いたいと純粋に思っている人もいるでしょう。

 そういった人の中で、麻生さんも相手に魅力を感じたり、興味が沸いたら2人の関係を前に進めても良いのではないでしょうか。その際に重要なのは、あらゆる場面でお互いの意思をちゃんと伝え、尊重しあえる時間を積み重ねていくことです。どこかで自己犠牲心を発揮してしまうと、相手が、「この人はモノになってくれる人なんだ」と勘違いしてしまいます。

 新しく出会った人と対等な関係を築いていくのは、日々の積み重ねが重要です。それは会話や日常での立ち振る舞いを大切にするということです。その中で、エロいことは、お互いを信頼しているからこそできる行為であり、そこに快感が伴えば日常にある行為のどれよりも深く繋がれた感覚を味わえます。

 愛しているからそういった行為をするのではなく、信頼し大切に思っているからそういった行為をし、そしたら、愛という自他の境界線がなくなる状態になったというのが僕の認識です。

◆性別よりも個人を尊重するとは

 性的な行為をするときに、性別は関係ありません。生殖行為をするわけではなければ、異性間だろうが同性間だろうが愛になれる可能性は一緒です。異性間でしかそういった行為をしたことがない人はピンとこないかもしれません。

 これは、だからといって性的指向(性的に魅力を感じる性別)を広げることを推奨しているわけではありません。でも想像はしてみてください。挿入しないレズビアンのセックスや、老人同士のセックスを。

 女の子っぽいの対極には男の子っぽいがありますか? もしだとしたら女らしさと男らしさは二項対立になっているということでしょうか。性の対象としては、女性か男性かの二択で考えている人が多いので反対の存在であると捉えがちですが、そうではありません。LGBTQがどんどん浸透してきていますが、いろんな性があります。考えれば考えるほど分類できないんだとなり、結局は個人なんだとなります。

 つまり、性別ではなく個人と個人で向き合うのが人と人が付き合うときの基本です。男はみんな女性をモノ扱いしてエロい目で見るんだと決めつけていると、本来なら向き合える相手と出会った時に、その人を個人として捉えるのではなく男として分類して捉えてしまいます。

 男である事は変わらないのですが男である前に個人なのです、その人なのです。相手を見る時に性別で分類するより先に、その人個人で捉えるようにしてみて下さい。

 そしてまた、人との向き合い方がそういったスタイルの男性が、世の中には少なくても必ずいます。批判を承知で言えば、日本より欧米とかに多くいるかもしれません。でも日本にもいます。そんな人と出会うために、固定概念はなくしておいてくださいね。エロは愛につながりますよ。

<文/森林原人>

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【森林原人】

1979年生まれ。1999年にAV男優デビュー。出演本数1万本。経験人数9千人。セックスの虜になり道を踏み外したと思われているが、本人は生きる道を見つけられたとむしろ感謝している。著書に「イケるSEX」(扶桑社)他。性と向き合い、性を知り、性を楽しむためのサイト「リビドーリブ」とオンラインサロン「森林公園」を運営。★Twitter(@AVmoribayashi)

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