中村うさぎ、ゲイの夫と結婚20年「ねえ、あんた、なんでここまでしてくれるの?」

週刊女性PRIME / 2019年9月26日 8時0分

中村うさぎさん

 世間の一般的な「結婚」の概念からすると、うちの結婚スタイルは異色だと思う。何しろ夫がゲイで、私たち夫婦の間に性的交渉は一切ないからだ

 結婚した'97年当初は雑誌に「偽装結婚」などと書かれたし、周りの友人知人も「どうせ長続きしないでしょ」と思っていたようだ。

 というか私自身、長続きさせる気もなかった。すでにバツイチだった私は結婚に対して夢なんか持ってなかったし、「一生添い遂げるなんて無理でしょ」と考えていたのだ。

「結婚すればいいんですね!」と激怒

 なら、なぜ結婚したのかというと、香港人の夫が日本に在留できるようにと思ったからである。夫(その当時はまだ夫じゃなくて親友だったのだけど)は学生ビザで日本に留学していたのだが、卒業と同時に学生ビザは失効するわけで、続けて滞在するためにはワーキングビザを取得しなければならない。

 だが日本で職を探したものの見つからず、途方に暮れた彼から相談を受けた私は一緒に入国管理局に行くことにした。その時点では、彼との結婚なんてまったく考えてなかった。

 ところが、だ。その入国管理局のおっさんの態度があまりに横柄で、私はすっかり驚いてしまったのだ。おっさんは薄笑いを浮かべながら「一流の料理人とか有名人とかならともかく、何の取り柄も才能もない外国人に職なんかあるわけないし、ビザもあげられないねぇ」と偉そうに言い放ったのである

 タメ口で、しかもめちゃくちゃ上から目線で。私は「このおっさんは自分に何か特別な権力があるとでも思ってるのか?」とあきれ果てた。

 で、「じゃあ、どうすれば日本に滞在できるんですか?」と尋ねたら、おっさんは肩をすくめ「誰か日本人の女の人に結婚してもらうしかないんじゃない?」と答える。その小バカにしたような言い方に完全にキレた私は「そうですか。結婚すればいいんですね! わかりました!」と席を立ち、ぷりぷり怒って役所を出たのだった。

 まぁ、売り言葉に買い言葉というやつだが、今にして思えば入国管理局のおっさんがあんなに嫌なやつじゃなくて私をあれほど怒らせなかったら、私は勢いで結婚してなかったかもしれない。そういう意味では、あのおっさんに感謝、である。

じゃあ、私ならどう?

 とりあえず「結婚すればいいんでしょ!」などという捨て台詞を吐いて外に出たものの、本人の意思をまったく聞いてなかったことに気づいた私は、近くのカフェでお茶を飲みながら彼に聞いてみた。

「ねえ、勢いであんなこと言っちゃったけど、あんたはどうしたい?」

「日本にいられる方法がそれしかないなら結婚したいけど、ワタシがゲイだと知らない女の人を騙して結婚するのはイヤ。その人の人生を不幸にしてしまうから」

そうね。じゃあ、私ならどう? 私はあんたがゲイだって知ってるし、どうせバツイチだから結婚のハードルは低いわよ。うまくいかなきゃバツ2になるだけだしね」

「アナタはそれでいいの?」

「全然いいわよ。ただ、取り決めはしときましょ。私とあんたは恋愛もセックスもしない間柄だから、お互いに恋愛とセックスは外で自由にやる。そして、外での恋愛やセックスは一切、家に持ち込まない。それでどう?」

 こうして私と彼は結婚することになり、前述したように「偽装結婚」だの「どうせすぐ別れる」だのと言われたわりにはそのまま20年以上も続いているわけだ。確かに最初の目的は夫の日本在住権のためであり、私自身も「どうせ彼に恋人ができたら別居か離婚になるんだろうな」と思っていたので、「偽装結婚」と言われても仕方ないだろう。

 しかし、「夫婦間にセックスがない」という理由で「あんなの本当の結婚じゃない」などと安易に決めつけたアホなマスコミにはひと言いっておきたい

 結婚とは、そして夫婦とは何ですか? セックスしてれば本物の夫婦だと言うのなら、この世に大勢いるセックスレス夫婦はみんな「偽装結婚」なのか? 夫と私の間には恋愛もセックスもないが、親友時代に培った誰より強い信頼と絆がある

 その一方で、恋愛で結ばれたものの互いに相手を信頼してない夫婦、絆どころか憎み合ってすらいる夫婦を、私はたくさん知っているのだ。はたして、どちらが「本物の夫婦」と言えるのか?

恋愛だって自由でいい 

 夫婦とは互いを所有し合う関係ではない、と私は考えている。夫婦を「人生のパートナー」と定義するなら、そこにあるべきは「所有」ではなく、自由意思に基づく「共有」であろう

 夫婦は互いに助け合い支え合い分かち合う関係だと思うが、それはあくまで双方の「自由意思」が尊重されることが大前提なのだ。「夫婦だから」という理由で相手に何かを強要したり束縛したりする権利など存在しないと私は思う

 なんなら恋愛だって自由でいいくらいだ(これには多くの異論があろうが、私は本気でそう考えている)。なぜなら「夫婦」は「パートナー」であり、「恋愛相手」ではないからである。恋愛なんてものはしょせん、つかの間の花火だ。そんな一瞬の激情を一生涯にわたって保てというほうが無理ではないか

 たとえ始まりは恋愛であっても、結婚して夫婦というパートナーになった以上、どこかで「恋愛」とは別の「愛情関係」に移行しなくてはならない。

 相手を独占し合うことに価値が生じる恋愛より、互いを信頼し相手の自由を尊重しつつ必要なときにしっかりと支え合える「家族愛」を育てることこそが結婚の、そして夫婦という関係性の目的なのではないか

 夫婦は「共同体」なのだ。それは「一心同体」という意味ではなく、どうやっても一心同体などにはなれない他者との共同関係なのだ。

 セックスによってつかの間の「一体感」を得ることで「一心同体」の夢を見る恋愛とは違って、まずは相手を他者として認識し尊重することが大事だと思うのである。「恋愛」と「結婚」はまったくの別物だ

アナタが生きてるだけでワタシは

 この20年間、私たちはいろいろなものを乗り越えてきた。私の浪費癖による経済的危機はしょっちゅうだったし、私がホストやウリセンとの恋愛にハマって夫を心配させたことも1度ならずあった。どちらかといえば私のほうが迷惑かけまくりだったが、それでも夫は「あなたはそんなふうにしか生きられない人だから」と受け入れてくれた

 特に数年前、私が大病して身体が不自由になってからは、献身的に介護してくれる夫に心から感動した。

 こんなダメ妻なのになんでここまでしてくれるんだろうと不思議に思い、あるとき聞いてみたことがある。

「ねえ、あんた、なんでここまでしてくれるの? 私なんかあんたに迷惑かけるばかりで何もしてあげられないのに」

 すると夫はこう答えた。

アナタは自分で気づいてないと思うけど、今までずっとワタシをたくさん助けてくれてたの。だからワタシはアナタの世話ができてうれしいの

「でも車椅子だしウンコ垂れ流しの妻だよ」

いいの。アナタが生きてるだけでワタシは幸せなの

 そんな言葉を誰かに言ってもらえるなんて思いもよらなかった。私は自分のためにしか生きてこなかった人並みはずれたエゴイストである。夫のためにも誰のためにも生きてこなかった。そんな人間に「生きてるだけでいい」なんて言ってもらえる資格があるだろうか?

 でも、私もまた、夫が生きてくれてるだけで幸せだといつしか思うようになっていた。たとえ私が死んでもこの人だけは幸せに生きていってほしいなぁ、と心から願っている。そこにはもちろん感謝や贖罪も含まれるが、それだけではなく、自分より大事な存在だからだ。

 たぶん、この説明し難い「情愛」こそが夫婦愛なんだと思う。私たちは紛れもなく「夫婦」であり「家族」なのだ。

(文/中村うさぎ)

中村うさぎ ●1958年、福岡県生まれ。同志社大学文学部英文科卒。OL、コピーライターを経て、ジュニア小説デビュー作『ゴクドーくん漫遊記』がベストセラーに。その後、壮絶な買い物依存症の日々を赤裸々に描いた『ショッピングの女王』がブレイク。著書に『女という病』『私という病』『うさぎとマツコの往復書簡』など。

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