原節子・山口淑子が生誕100年、激動の時代を生き抜いた「伝説の2大女優」の軌跡

週刊女性PRIME / 2020年10月30日 5時0分

結婚を機に女優を引退する山口のため、原の呼びかけで製作された映画『東京の休日』で共演したふたり。山口は米国帰りの新進デザイナー役、原はファッション界の重鎮役を演じ、上原謙、八千草薫、司葉子、宝田明らが出演した 『東京の休日』(C)1958東宝

 ともに1920年に生まれた女優、原節子と山口淑子が生誕100年を迎えた。
戦前、戦中、戦後の激動期を生き芸能史に残る、ふたりの軌跡――。

家庭の事情で女優に
“永遠の処女”引退

 昭和を代表する2大女優、原節子と山口淑子の生誕100年を記念した特別展が、神奈川県の鎌倉市川喜多映画記念館で開催されている。

 原は、1920年6月17日生まれ。山口は、1920年2月12日生まれ。ふたりに共通しているのは、年齢だけではない。戦前に自らの意思ではなく芸能界にデビューし、戦中は国家に翻弄され、戦後は大女優として地位を確立する。

 しかし、原は42歳で引退宣言することなく表舞台から去り、山口は女優を引退し、ジャーナリスト、政治家の道を歩み、同じような境遇とともに、対照的な生き方をしている。
 
 原は、裕福な家庭に生まれたが世界恐慌のあおりで家業が傾き、女学校を中退して14歳で女優に。16歳でヒロインに抜擢された日独合作映画『新しき土』で一躍、注目された。

 戦時中は、政府に要請され供出運動参加や国策的な戦争映画への出演が増えた。敗戦後は、復員してきた兄弟や家族を支えるために女優を続けざるをえなかったが、黒澤明監督『白痴』、小津安二郎監督『麦秋』、成瀬巳喜男監督『めし』など巨匠の期待に応え、不動の大女優に。“永遠の処女”ともいわれ、42歳のときに映画『忠臣蔵花の巻・雪の巻』を最後に“引退”。再び表舞台に立つことはなく、2015年9月に95歳で亡くなった。

「李香蘭」として人気に
司会者、政治家に転身 

 日本統治下の満州で生まれた山口は、中国人歌手「李香蘭」として13歳でデビューし、日本の国策映画会社、満映から“日本語の堪能な中国人女優”として売り出された。

 日中戦争が勃発すると、日本の植民地政策のプロパガンダに利用されながらも東アジアのスターとして人気に。1941年に有楽町・日劇でのリサイタルではファンが押し寄せ劇場のまわりを行列が取り巻く“日劇7回り半事件”と報じられた。

 '45年に中国で終戦を迎えると売国奴を意味する漢奸を疑われたが、日本人であることが証明され翌年、帰国。本名の山口淑子として活動。黒澤明監督『醜聞〈スキャンダル〉』などに出演したほか、シャーリー・ヤマグチの名でアメリカでも活躍。 '58年に2度目の結婚を機に女優を引退。

 '69年にワイドショー『3時のあなた』の司会者となり、 '74年に政治家に転身。 '92年に政界引退後も従軍慰安婦問題に取り組み、2014年9月に94歳で亡くなった。
 
 ふたりの歩みを知ることができる特別展には写真、ポスター、衣装など250点を展示。「時代に翻弄されながらも主体的に生きた、ふたりの女性の姿を感じてほしい」(同館学芸員の阿部久瑠美さん)

【特別展開催中】
特別展「生誕100年 激動の時代を生きた二人の女優―原節子と山口淑子」

/鎌倉市川喜多映画記念館にて12月13日まで/特別観覧料:一般400円、小・中学生200円/開館時間9時~17時(入場は16時まで)/電話番号:0467-23-2500

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