「産んだ責任としての殺人」我が子に手をかけた親たちの“リアル”な声

週刊女性PRIME / 2021年1月11日 16時0分

熊澤英昭被告が勾留されていた東京拘置所

 家庭内暴力、手に負えない子どもの問題行動に思い悩んだ末、愛するわが子を手にかける親がいる。なんとも痛ましい「産んだ責任としての殺人」とはーー。凶悪事件も含め、200件以上の殺人事件などの「加害者家族」を支援してきたNPO法人World Open Heartの理事長・阿部恭子さんが、レポートする。

 自宅で長男を刺殺したとして殺人罪に問われ、一審・東京地裁で懲役6年の判決を言い渡された元農水事務次官の控訴審が12月15日、東京高裁で結審した。

 被告人と妻は、長年、引きこもり状態だった長男の家庭内暴力に悩まされていた。それゆえ、被告人の境遇に同情する声も多いという。

愛する息子に芽生えた殺意

「この事件はとても他人事とは思えませんでした。私も、わが子が多くの人を不幸にする前に、産んだ私が責任を取らなくてはと思い……。手をかけたんです」

 信子(仮名・60代)の長男は、生まれたころから身体が弱く、入退院を繰り返していた。食べ物のアレルギーが多く、ほかの子どもたちのように活発に遊びまわることができず、しばしばいじめの対象になっていた。

「丈夫な身体に産んであげられなかった罪悪感から、家では甘やかしてしまったと思います」

 信子は息子の欲しがるものはすべて買い与え、多額の小遣いも渡していた。息子は次第に金目当てに集まってくる悪い仲間とつるむようになっていった。中学では校則違反で信子は何度も学校から呼び出しを受け、高校に入ると万引きや暴走行為で警察から呼び出されるようになった。

 息子がどれほど荒れようとも夫は仕事を言い訳に無関心。信子は誰にも相談できず、ひとりで問題を抱え込んでいた。

 そんなある日、事件が起きた。警察が自宅にやってきて、世間を騒がせている高校生によるリンチ殺人の件で、息子から話を聞きたいのだという。信子は身体中、震えが止まらなかった。

 息子は連日、警察署で事情を聴かれていた。信子は戻ってきた息子を問い詰めると、

「俺は何もやってないし、何も知らない」

 そう言って信子を突き放すのだった。外をのぞくと、自宅の周りに人が集まり始めている。マスコミが動き出していた。

「息子があの事件の犯人だとしたら、家族は終わりだ」

 信子はこの瞬間、息子への殺意が芽生えた。

「息子のせいで人が死ぬ」
その不安が母親を動かした

「逮捕される前に一緒に死ねば……」

 信子は包丁を手に取り、二階の息子の部屋へとおそるおそる進んでいった。息子の部屋の明かりはなかなか消えることはなく、実行できないまま数日が経過した。

 結局、息子が事件に関与している証拠はなく、逮捕されることはなかった。

「それでも、息子のせいで人が死ぬ。その不安が頭から離れなかったんです」

 そんな信子の心配は現実になった。息子はバイクで事故を起こし、同乗していた少女を死亡させてしまったのである。息子は重傷を負ったが命に別状はなかった。

「あのとき一緒に死んでいれば……」

 信子は後悔していた。一家は自宅を売却して損害賠償の支払いに充て、その後、破産しなければならなかった。

 ところが、退院して姿を見せに来た息子の態度はふてぶてしく、反省する様子など微塵もなかったのである。息子と目が合った瞬間、信子の理性は崩壊した。

「目がった瞬間、息子は笑ってたんです。なぜ、どうして人を死なせておいて笑うことなんかできるのかって怒りが込み上げてきました」

 信子はその後の記憶はないという。包丁を持って息子を刺そうとした信子を夫と息子で必死に取り押さえていた。信子は、しばらく精神病院に入院した。

 信子が息子の姿を目にしたのはこれが最後だった。息子はそれから行方が分からなくなった。数年後、都内のマンションで息子が亡くなっていたという知らせが届いた。自殺の可能性が高いという。

ようやく解放された気がしました。息子が死んだという知らせが来るまで、私が産んだ責任として必ず私が殺さなければいけないという思いに囚われていましたから

生活苦からの心中

 智子(仮名・30代)は、生活苦から生後6か月になるわが子を殺害し、自ら命を絶とうとしたが一命を取り留め、殺人罪で刑に服している。

「夫は一度も子どもに触れたことはありませんでした。もし、この子を残していったら虐待されるに違いないと、手をかけてしまったんです」

 智子はかつて、経済力のあるキャリアウーマンだった。借金がかさみ、心中しなければならないほど追い詰められたのは結婚が原因である。婚活パーティーで知り合い結婚した夫はジャーナリストとは名ばかりのほとんど収入のない男性だった。ふたりは智子が所有するマンションで暮らし、家計はすべて智子の稼ぎで支えていた。夫は見栄っ張りで、高級車やゴルフの趣味に浪費をしていた。

 智子は、子どもができれば夫も変わると期待をしたが、子どもが生まれてからがまさに「生き地獄」だった。自宅で仕事をしている夫は、子どもの泣き声がうるさいと怒鳴り、暴力を振るようになった。智子はうつ病になり、仕事を続けることもできなくなった。夫はこれまでと同じように贅沢(ぜいたく)な生活を続けている。智子はいつの間にか、死ぬことしか考えられなくなっていった。

「親には心配かけたくないと思い、相談できませんでした。友達にも恥ずかしくて言えませんでした。幸せなふりを続けてしまったんです

 いつの間にか、食料も手持ちの現金も底をついてしまった。夫は出張に出かけると行ったきり戻ってこない。

「ごめんね……」

 智子はついに、お腹がすいて泣き出したわが子の首を絞め殺害した。その後、自ら手首を切って自殺を図った智子は、訪ねてきた姉に発見された。逮捕後すぐに、智子は夫から郵送されてきた離婚届を受け取りサインした。夫は一度たりとも面会に来ることはなかったという。

家族を殺す前に「逃げて」

 海外に比べ、殺人事件は非常に少ない日本だが、殺人事件に占める家族間殺人・心中事件の割合の高さは、家庭が必ずしも安心できる場所にはなっていないことを示している。

 その背景には、犯罪のみならず、家族が他人に迷惑をかけた場合、家族が連帯責任を負うべきだという根強い思想が家族を追いつめているからだと考えている。

 家族の問題は最後まで家族で責任を持つべきだと考えるならば、第三者に頼ることは許されず、社会で問題を共有するという発想には至らない。事件の背景を辿っていくと、重大事件に至る家族ほど事件が起きる直前は、他人に頼る力さえ尽きている。

 問題が小さい段階で家族以外の適切な相談者を見つけておくことで、命が失われるリスクを減らすことはできるはずである。
 
 殺人は最も重い犯罪であり、事件が起きた背景を理解することは重要だが安易に正当化されてはならない。たとえ問題の解決が見えなかったとしても、家族を殺す前に逃げて欲しい。

 そして逃げられた家族を周囲がどのように支えていくかが社会の課題であり、「無責任」といってただ責め続けるだけならば、同様の事件を防ぐことはできない。

阿部恭子(あべ・きょうこ)
NPO法人World Open Heart理事長。日本で初めて犯罪加害者家族を対象とした支援組織を設立。全国の加害者家族からの相談に対応しながら講演や執筆活動を展開。著書『家族という呪い―加害者と暮らし続けるということ』(幻冬舎新書、2019)、『息子が人を殺しました―加害者家族の真実』(幻冬舎新書、2017)など。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング