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解散目前のV6が導いた「K-POPアイドル界」の歴史、スゴい影響力と“勤続26年”の重み

週刊女性PRIME / 2021年9月3日 16時0分

V6

 3月12日、V6がデビュー記念日である11月1日に解散することと、森田剛のジャニーズ事務所退所が発表された。カミセンは解散と同時に活動を終了し、トニセンは活動を継続するという。デビューから約26年、彼らの歴史を振り返ると「K-POP界」との深い3つの関わりが見えてきたーー

 もしもV6がデビューしていなかったら、“K-POP男性アイドルの伝説”は大きく変わっていたーー。

 日本でSMAPの冠番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)や、V6出演の人気番組『学校へ行こう!』(TBS系)などが始まるなど、ジャニーズのアイドルグループがテレビ界を席捲しようとしていた1990年代後半。ちょうどお隣・韓国でも、男性アイドルグループの伝説的大ブームが起こっていたのをご存じだろうか。

 独裁政権・軍事政権の時代が長く続き、アーティストも漏れなく政治的弾圧の対象になっていた韓国では、本格的に若者向けアイドルグループが量産され始めたのは民主化後の1990年代からになる。

 そうした経緯の中で1997年、後にK-POPアイドル界のレジェンドと呼ばれる男性アイドルグループが誕生した。その名も「Sechs Kies」(ジェクスキス)である。

 そもそもSechs Kies誕生のきっかけは、デビュー直前の1996年に韓国で男性アイドルグループ「H.O.T.」(エイチオーティ)が大ブレイクしていたこと、そして同時期の日本でV6が大きな注目を集めていたこと、からだった。

 先行して人気の出ていた韓国のH.O.T.は5人組で、日本のメディアでは当時から“韓国のSMAP”に例えられることが多いグループだった。そんな“韓国のSMAP”に対抗すべく、後発デビューのSechs Kiesが結成コンセプトに据えたのが、ずばり“韓国のV6”である。

 Sechs Kiesは6人というメンバー構成はもちろん、当時珍しかったV6のコンセプト別ユニット・20th Century/Coming Centuryを参考に、やはりコンセプト別ユニット・Black Kies/White Kiesを設けるなど、その誕生にはV6の存在がかなり影響を与えていたのだ。

 そして“韓国のSMAP”H.O.Tと“韓国のV6”Sechs Kiesは、その後、結果として最上のライバル関係を維持しながら、2000~2001年のグループ解散までK-POPアイドル史の一時代を築くことになる。

 K-POPアイドル特有の文化として現在も発展し続ける「ファンダム」(ファンたちの能動的コミュニティ)も、もともとはこのH.O.TやSechs Kiesの熱狂的人気があったからこそ、広く定着したと言われている。

 そのような歴史の流れを踏まえると、もしもあの時期、日本でV6がデビューしていなければ。

 K-POPアイドル史に残る伝説も、その文化さえも、もしかしたら現在とは全く違う形になっていたかもしれないのだ。

 もしもV6がデビューしていなかったら、“K-POPアイドルの日本進出”も大きく変わっていたーー。

 1998~2002年ころに日本の歌番組、もしくはバラエティー番組をよく見ていた人なら、その名前にどこか見覚えがあるかもしれない。

 女性3人組アイドルグループ「S.E.S.」(エスイーエス)。

 しかし彼女たちが頻繁に日本のテレビに登場していたころ、S.E.S.が「韓国では国民的人気アイドルである」こと、そして同時に「本格的な日本進出に初めて挑戦したK-POP女性アイドルグループであった」ことは、あまり認識されていなかったように思う。

 彼女たちの日本活動は、その内容を大きく前期・後期に分けることができる。

 前期に当たるのは日本テレビ系音楽レーベル・VAPの所属時代(1998~2000年)で、この時期のS.E.S.は“韓国のSPEED”という触れ込みを武器に、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(フジテレビ系)や『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)のような人気番組に次々と出演。またCDリリース時には『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)エンディングテーマなどのタイアップもしっかりついていた。

 しかし華々しい日本デビューから1年以上経っても、彼女たちは結果として期待されたほどの実績を残すことができず、そのうち次第にメディア露出も減り始める。

 その中でS.E.S.は日本デビューから約1年半後の2000年5月、音楽レーベル・エイベックスへの移籍を選択。

 そしてここで彼女たちが出会ったのが、同じエイベックスに所属していたV6だった。

 S.E.S.のメンバー、中でも在日韓国人で日本語が堪能だったシューは、エイベックスの所属時代(2000~2002年)に、V6と数多くの共演機会に恵まれた。

 ドラマやミュージカル、ミュージックビデオとその例を上げればきりがないほどで、両者が共演するたびにV6だけでなくS.E.S.の名も日本のテレビから流れたが、その中でも有名かつ最も意味が大きかったのはコラボシングルのリリースだろう。

 V6 feat.Shoo(S.E.S.)名義で日本語版/韓国語版の2バージョンが制作された楽曲『one』は、人気ドラマ『ごくせん第1シリーズ』(日本テレビ系)の主題歌である『Feel your breeze』と両A面扱いで、V6の21作目の正規シングルとして発売された。

 この当時のS.E.Sはすでに日本の歌番組出演がほぼ消滅している状況だったが、このコラボによってシューは、それまで叶っていなかった『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)への初出演も果たすことになる。

 それはまだ韓流ブームもYouTubeも存在しない時代、K-POPアイドルの展開に多くの限界があった'00年代初頭の日本市場で、V6の存在が、孤軍奮闘する彼女たちの可能性拡張に貢献したという最大の証でもあった。

 そしてS.E.S.自体はその後、韓国の所属事務所・SMエンターテインメントとの契約満了を迎えた2002年末には解散をしてしまうのだが、彼女たちの5年に及ぶ日本活動は事務所内でその経験が共有され、後輩たちの日本進出時に大いに活かされることになった。

 S.E.S.の解散後、やはり韓国のSMエンターテインメントから日本進出に挑戦し、そしてS.E.S.の経験や教訓を反映させたことで歴史的成功を収めたと言われているのが、BoAや東方神起である。

 もしもあのとき、S.E.S.がV6と偶然レーベルメイトになっていなければ。

 偉大な先駆者である彼女たちは日本活動の経験値がもっと少ないうちに解散していたかもしれず、そうなると後に続く者たちの現在地もまた、今とは大きく変わっていたかもしれない。

 もしもV6が「ドリームコンサート2002」に招待されていなかったら、ジャニーズの海外進出は大きく変わっていたーー。

 そしてV6もまた、韓国視点では「韓国で初めてライブパフォーマンスを行った日本のジャニーズアイドル」である。

 ここまでは主にV6とK-POPアイドル史の間接的なかかわりを主題としてきたが、実はV6自身も、直接K-POPアイドル史の中に登場する場面がある。2002年4月、韓国で開催された「ドリームコンサート」への出演だ。

 1995年から始まった韓国の「ドリームコンサート」は、ソウルオリンピック主競技場(約7万人収容)やソウルワールドカップ競技場(約6万5000人収容)といった超大型ライブ会場で開催され続けている、国内最大規模のK-POPフェスである。いわば韓国の若者の「国民的行事」、そのスポットライトをV6は日本人として初めて浴びることになった。しかもここで押さえておかなければならないのは、彼らが向かった2002年の韓国はまだ、日本語の歌がテレビで流せない、CDも公式販売ができないという状況だったことである。

 韓国では過去の歴史的経緯から、長年にわたり、日本の大衆文化輸入が法律で厳しく制限されていた。その方針が変わったのは日韓のワールドカップ共催が視野に入った1998年ころからなのだが、それでも国民感情への配慮から、実際の解禁自体は段階を踏む形でかなり慎重に行われている。V6が「ドリームコンサート」に招待された2002年というのはまさに、そんな複雑な時代の真っ只中だった。「いろいろなところに場慣れしている僕たちでもかなり緊張しました」、これは当時の雑誌連載に記されていた、V6メンバー・井ノ原快彦の率直な心境だ。

 しかし2002年のV6はかつてない緊張の中でも、日本のアイドルとして、結果的に韓国でのステージを無事大成功へと導いた。その事実は当日の反響以上に、後の歴史が立証している。2004年、ついに日本語の歌唱CDが発売解禁された韓国で、V6も初めてCDを正式リリース。2005年、やはり韓国で開催された「日韓友情記念コンサート」にV6が日本代表として出演し、同時にファンミーティングも開催。

 その後の2006年には後輩の嵐が、ジャニーズで初めて韓国での単独コンサート開催を実現させることにもなるのだが、これももし、それまでのV6の成功が無ければ、続く歴史の形はまた大きく変わっていたのではないだろうか。

 そしてV6自身も、2009年には初めて韓国で単独コンサートを開催している。平均年齢25歳で初めて韓国のステージに立ってから7年、平均年齢32.6歳に成長していた日本のアイドルは、全員が約2メートルの高さから見事なバク宙を披露し、韓国のファンたちを一瞬で熱狂させた。

 まだ平成が始まって間もなかった1995年から、ずっとアイドルシーンのトップを走り続けてきたV6。その功績というのは日本国内の視点だけでも充分に語ることが可能なのだが、アイドルのグローバル化が著しい近年では、「アジアアイドルへの影響」という視点でもV6の偉大さが改めて浮かび上がってくる。

 一人も欠けずに到達したアイドルの“勤続26年”。その言葉にある重みは、やはり伊達ではない。しかもV6は、今この瞬間でさえも、新たな歴史をアイドル界に刻み続けている。グループ解散まで残り2か月となる今、リリースされる新作アルバムも、収録曲は全て新曲、全てメンバープロデュース作品なのである。

 変わらぬ関係性と変わらぬ笑顔、そして同時にプロとして、全員が最後までクリエイティビティを追求し続ける姿勢。

 あと2か月、もしくはまだ2か月。

 今の私たちには、そんな偉大なアイドルの歴史を目撃するチャンスが残されている。


参考文献:金成玟著『K-POP 新感覚のメディア』岩波書店/井ノ原快彦著『アイドル武者修行』日本経済新聞出版

乗田綾子(のりた・あやこ)◎フリーライター。1983年生まれ。神奈川県横浜市出身、15歳から北海道に移住。筆名・小娘で、2012年にブログ『小娘のつれづれ』をスタートし、アイドルや音楽を中心に執筆。現在はフリーライターとして著書『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)を出版しているほか、雑誌『月刊エンタメ』『EX大衆』『CDジャーナル』などでも執筆。Twitter/ @drifter_2181

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