意外と知らない? 炭酸の「ウィルキンソン」は正真正銘の国産ブランドだった

Jタウンネット / 2019年11月3日 11時0分

ウィルキンソンの歴史とは


つい最近の話だが、炭酸で知られるウィルキンソンが、外国のブランドではなく、実は国産だったということが、ツイッターなどでずいぶん話題になったことがある。てっきり外国産だと思い込んでいた人がいかに多かったか、ということだろう。

「ウィルキンソン タンサン」は、兵庫県の宝塚付近で発見された鉱泉が、そもそもの始まりだ。下の写真がその発見者、ジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏だ。1889年、明治22年頃、今から130年以上も昔のことである。

ジョン・クリフォード・ウィルキンソン(画像はすべてアサヒグループホールディングス提供)
晩年の頃(60~70歳)のジョン・クリフォード・ウィルキンソン(以下画像はすべてアサヒグループホールディングス提供)

では、ウィルキンソン氏とはいったいどんな人物だったのだろう? あなたはご存じだろうか。Jタウンネット記者もまったく知らなかった。そこで、「ウィルキンソン タンサン」を販売するアサヒグループホールディングスに詳しい話を聞いてみることにした。

海外の取引先を招いた「タンサン・ホテル」とは?

1890年、ウィルキンソン氏が最初に手がけた「仁王印ウォーター」のラベル
1890年、ウィルキンソン氏が最初に手がけた「仁王印ウォーター」のラベル

Jタウンネットの取材に答えてくれたのは、アサヒ飲料株式会社コーポレートコミュニケーション部の担当者だった。

アサヒ飲料の公式サイトには、ウィルキンソン氏は1852年、英国に生まれ、1872年、日本に渡航し、1889年、兵庫県宝塚で炭酸鉱泉を発見した、と記されている。その間、どこで、どんな仕事に就いていたのだろう。

「大阪鉄工所(のちの日立造船)を創業したエドワード・ハンター氏の精米所(兵庫新在野町)で技師として働いていました。その精米所での雇用が終了した後に天然炭酸鉱泉水事業に携わっていったと考えられます」

1901年、クラウンコルク(王冠)の使用を開始
1901年、クラウンコルク(王冠)の使用を開始

ウィルキンソン氏が発見した炭酸鉱泉のある宝塚は、当時から良質な鉱泉が出るところとして知られていたのだろうか。付近には、他にも、鉱泉を使った飲料があったのか?

「ウィルキンソン氏が炭酸鉱泉を宝塚で発見(1889年、明治23年)する前に、当時宝塚で温泉会社を営んでいた保生会社がラムネを製造していました。保生会社とは温泉場を開発・経営するために設立された会社のことです。
ウィルキンソン氏はその事業を譲り受け、製造設備をイギリスから取り寄せて紅葉谷工場を設立し、天然炭酸鉱泉水事業を始めました(1890年、明治24年)」

1904年設立した、ザ クリフォード ウィルキンソン タンサン ミネラル ウォーター有限会社の事務所
1904年設立した、ザ クリフォード ウィルキンソン タンサン ミネラル ウォーター有限会社の事務所

ウィルキンソン氏は、宝塚に洋式高級ホテル「タンサン・ホテル」を開業し、海外の取引先などを工場見学に招いていたそうだが、「タンサン・ホテル」とはどんな施設だったのか?

「ホテルの規模、客室数、宿泊客の数などの記録は残っていません。場所は紅葉谷工場の裏手にあり、畳とメイドさん以外は外国製のもので設えており、高水準な様式ホテルであったようです」

ウィルキンソン氏経営の「タンサン・ホテル」
ウィルキンソン氏経営の「タンサン・ホテル」

当時の取引先・販路はどのようなものだったのだろうか。シンガポールを拠点に東南アジア諸国に販売していたようだが...。

「シンガポール、フィリピン、中国、香港などであったようです。ロシアも一時期大きな販路であったと書かれている資料(「日本清涼飲料史」エセル・プライス寄稿「天然水の始まり」)もあります」

ウィルキンソン氏は販路開拓のために、海外各地に精力的に出かけていたようだ。日露戦争が勃発し、ロシアの取引先から代金の回収ができなくなり苦労したと、前述の「天然水の始まり」には書かれている。結局、ロシアとの取引は中止せざるを得なかったようだ。

ウィルキンソン氏の妻は日本人だった

ウィルキンソン氏の家族
ウィルキンソン氏の家族。前列左端が孫のハーバート、その左上がエセル、エセルの右上が中川くま(ウィルキンソン氏夫人)。背景は、タンサンホテル。

1923年、ウィルキンソン氏が亡くなった後、事業を継承した長女エセル・プライスとはどのような人だったのだろうか。

「ウィルキンソン氏の奥さんは『中川くま』という京都生まれの方です。お子さんは二人いて、そのうちの一人がエセル・グレース・ウィルキンソン(後のエセル・プライス)、日本名は『中川しつ』だったようです。
エセルは1889年(明治23年)神戸で生まれ、1911年(明治44年)、ウィルキンソン氏の会社の秘書であったジョセフ・プライスと結婚しました。結婚によりエセル・プライスと改名、イギリス籍を取得しました。
エセルはジョセフとの間に4人の子どもをもうけましたが、ジョセフは1916年(大正5年)に31歳で亡くなりました。ジョセフはウィルキンソン氏の会社の後継者と目されていましたが、エセルがその後継となり、息子のハーバート・プライスが会社を継ぐまで、エセルが会社を経営しました(1923年~1937年)。エセルは1966年(昭和41年)、76歳で亡くなりました」

つまりウィルキンソン氏の遺志を継いだのは、日本人妻との間に生まれた長女エセルだった。神戸生まれの神戸育ち、おそらくバイリンガルだったのだろう(Jタウンネット記者のたんなる想像に過ぎないが......)。いったいどんな女性だったのか。

英国人の手で生み出され、英国人と日本人の血を引く女性の手で育てられた「ウィルキンソン タンサン」は、やがて戦争という荒波を経て、戦後、孫のハーバートの手に戻るが、やがて朝日麦酒という日本の大企業に引き継がれる。

「ウィルキンソン」は、外国のブランドではなく、まさに正真正銘、日本のブランドなのだ。

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