守りに入らず攻め続けるためにスバルへの社名変更を決断した――吉永泰之(富士重工業社長)

経済界 / 2017年3月21日 9時15分

(よしなが・やすゆき)1954年生まれ。77年成蹊大学経済学部を卒業し富士重工業入社。国内営業畑を歩き、2005年執行役員戦略本部副本部長兼経営企画部長、06年執行役員戦略本部長、07年常務執行役員スバル国内営業本部長、09年取締役兼専務執行役員スバル国内営業本部長を経て、11年社長に就任した。

富士重工業は4月1日、社名をSUBARU(スバル)に変更する。富士重工業の前身である中島飛行機が誕生して今年でちょうど100年(当時の社名は飛行機研究所)という節目の年の大きな決断だ。その狙いを吉永泰之社長に聞いた。聞き手=本誌/関 慎夫 写真=幸田 森

社名を変える前にブランド力を強化

―― 4月1日に富士重工業からスバルへと社名が変わります。準備が大変なのではないですか。

吉永 それほどでもないですよ。社名変更で大変なのは、販売店の看板を全部つけ替えるといった作業ですが、当社の場合、既にお店の看板はすべてスバルです。販売会社にしても、東京スバル、大阪スバルという社名ですから変える必要はありません。せいぜい本社や工場の看板を替えるくらいのもので、よその社名変更に比べたら、工数ははるかに小さい。

―― 社名変更を発表したのは昨年5月です。あらためて、その狙いを教えてください。

吉永 2014年に発表した「際立とう2020」という中期経営ビジョンでは「スバルブランドを磨く」「強い事業構造を創る」の2つを掲げています。これを策定した時から、社名をスバルに変えることは私の頭の中にはありました。私たちは規模ではなく、個性で勝負する会社です。そのためにはスバルというブランドをいかに魅力的にするかが重要です。社名変更の目的もそこにあります。勘違いしてはいけないのは、会社の名前を変えればブランドの魅力が増すなんてことは絶対にないということ。スバルのクルマの魅力を高めるというのがまずあって、初めて社名変更がある。その順番を間違えると大変なことになってしまいます。

 しかも今年は当社の前身の中島飛行機が誕生してちょうど100年です。社名を変えるならこのタイミングで、と考えていました。

―― 業績も絶好調。17年3月期も最高益を更新する見通しですし、昨年の世界販売台数はついに100万台を突破しました。これから先は何を目指しますか。

吉永 質の高い会社を目指します。全世界で自動車は年間9千万台売れていて、大きなプレーヤーは年間1千万台を販売します。われわれは成長してきたとはいえ100万台。世界市場の約1%にすぎません。そんな会社が数を目指してはいけない。200万台、300万台を目指すと言った瞬間に当社のビジネスモデルが壊れてしまいます。その数字を達成するためには、大手と同じように、新興国に出ていったり、コンパクトカーをつくったりしなければならなくなる。そんなことはやってはいけないし、やろうとしたら私が認めません。ですから中期経営ビジョンでも120万台+αと刻んでいます。

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