異端と呼ばれた男の素顔とリーダー論――ゲスト 松井道夫(松井証券社長)

経済界 / 2017年9月4日 9時0分

まつい・みちお 1953年長野県生まれ、東京育ち。76年一橋大学経済学部卒業後、日本郵船に入社。87年義父の経営する松井証券に入社。取締役法人部長、常務取締役営業本部長などを経て95年社長に就任。いち早くネット証券事業に参入し、同社を大きく成長させた。

古い慣習にとらわれない施策を次々に実行し、ネット証券会社の草分けとして業界に風穴を開けてきた松井道夫氏。その実績と業界に与えた影響の大きさについてはあらためて説明するまでもないだろうが、その言動から異端視もされてきた。独特の空気をまとう証券業界の風雲児の哲学に、神田昌典氏が迫る。構成=吉田 浩 Photo=森モーリー鷹博

雰囲気に押されて社長業を継ぐことに

神田 そもそも松井社長は、先代社長の婿養子として松井証券に入社されましたが、結婚の段階で社長になることは決まっていたのでしょうか。

松井 全くそんなことはありません。玉の輿に乗ったと言われることもありますが、結婚当初は、務台(むたい)というのが私の旧姓でした。結婚してしばらくしてから継ぐという話になり、社長になったら「松井証券の務台です」と名乗るのも面倒臭かったので、松井姓を名乗ることにしたんです。

神田 面倒くさいとは意外な言葉ですね。

松井 社長になることにしたのも、面倒臭かったからです。私は日本郵船の社員でしたが、たまたま結婚相手が松井証券の二代目社長のひとり娘だった。先代からは一言も「継いでくれ」とは言われませんでしたが、義母と妻は暗にそんな雰囲気を出していました。誰もそれを言葉にしないけれど、雰囲気は伝わってくる。そんな状況が面倒くさくなって、私の方から「継がせてください」とお願いしたんです。すると、先代は「おやんなさい。でもつまんないよ」と。呆気にとられましたね。

神田 思わず笑ってしまいそうな言葉ですね。

松井 その「つまんない」の意味が分かったのは社長になってからです。当時の証券業界はいわゆる護送船団方式で、大蔵省(現財務省)の監督が非常に厳しかった。証券だけではなく、銀行も保険業も、金融はみんなそうでした。自由な経営なんてできない。そういう意味で「つまんないよ」だったんです。

神田 イメージとして持っていた社長業、経営の面白さはなかったということでしょうか。

松井 というよりも、日本郵船時代はただの平社員ですから、経営のことなんて分かっていなかった。先代の言葉の意味が理解できたのはある程度たってからでしたね。

神田 その「つまらない」と言われた仕事を、松井さんは変えていかれましたね。護送船団方式の時代が終わるとはいえ、それまで長年続いていた形を変えていくのは、大変だったと思うのですが。

松井 私が松井証券に入った直後が、バブルのピークでした。数年で株価が何倍にもなる。当時、野村証券は4年で2兆円の利益、破綻した山一証券だって1兆円弱の利益を出していました。当社も規模なりの利益は出ていましたが、バブルが弾けると軒並み赤字へ転落です。誰も経営をちゃんとしていないんだから、市場環境が変わればダメになって当たり前です。当社だって、そのままならダメになる。自分から「継がせてください」と言っていますから、ダメになっても誰も恨めない。このままだと自分がバカだったということになってしまうので、それは嫌だからできることをやるしかない。そう考えただけです。

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