書道展で展示される作品 なぜ読めないような文字ばかり?

太田出版ケトルニュース / 2014年1月20日 9時53分

太田出版ケトルニュース

 新聞の一面で、日展の「書の篆刻部門他の不正審査疑惑」が報じられたのは2013年10月初旬。業界関係者からは「何を今更…」という声が聞かれる一方で、世間からは「公益法人で、日本最高峰の芸術公募展が不正審査とは残念」という声も上がったのは記憶にあたらしいところです。その後、日展審査の疑惑を調査した第三者委員会の報告では、日展が歴代の芸術院会員の長老を絶対的トップとしたヒエラルキー(ピラミッド型の段階的組織構造)体質の問題が浮き彫りになりました。

 そもそも“書”は、江戸時代に読み書きを寺子屋で学んでいたように、情報を他人や自分のために残したり、共有するための実用の情報技術(IT Information Technology.)だったはずです。いつから“書”という情報技術が、審査されるだけの“芸術”になったのでしょうか? 調べていくと“書”にまつわる意外な歴史が・・・。

 私達が「書道(習字含む)」と呼んでいるものは、明治以降に主流になった中華式の書「唐様(からよう)」と呼ばれるもので、そこまで古い日本の文化ではないようです。5~6世紀頃から中華大陸から漢字が伝わりましたが、平安時代に中華文化から脱却した国風文化が起こり、かな書など日本独自の書「和様」が発生します。

 そして、260年続いた江戸時代には、和様“御家流”が公式書体として寺子屋教育などを通じて庶民に文字が普及します。「たった四はいで夜も眠れず」という瓦版を、庶民が読めたことは当時、すごいことのようで、ペリーは「日本遠征記」で日本人のことを「読み書きが普及している」と特筆しています。

 一方、そのころの唐様は、一部の方の趣味に過ぎず、読める人がいないので実用性はありませんでした。遊芸にふけった商人を皮肉った川柳に「売り家と唐様で書く三代目」というがあります。「苦心して初代が残した財産を、3代目には没落して家を売ることになる。しかし、『売り家』と書かれた書体が、庶民が読める御家流ではなく、趣味の書である唐様だった」という意味で、唐様は特殊だったことが伺えます。

「日本近代書道の父」と呼ばれる日下部鳴鶴も、書籍「六朝書道論」(1914年)の中で「御家流であらざれば書にして書にあらずという偏見が、一般の頭脳に留まっていたことは事実」と書いたほどです。当時は、圧倒的に主だったのが和様“御家流”で、唐様は従の立場で圧倒的に少数派でした。
 
 ところが、明治維新で倒幕を果たした明治政府は、御家流ではなく幕末の三筆の1人、特に楷書を得意とした唐様の巻菱湖の “菱湖(りょうこ)流”が公式書体になります(将棋の駒名“巻菱湖”でも有名)。これで、世界最高峰の識字率を誇った和様は、あっさり衰退します。現在の書道が漢字中心なのは、明治政府が唐様を採用したことが背景にあるようです。

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