東京Dで振り返る新日本プロレスの平成史・初期 猪木敗北から引退まで

太田出版ケトルニュース / 2019年1月1日 9時0分

『ケトルVOL.46』(太田出版)

平成という時代はまもなく終わりますが、新日本プロレス(以下「新日本」)の平成は、東京ドームとともに歩んできました。平成元年(1989年)4月24日、新日本は日本プロレス史上初となる東京ドーム大会を行ない、その後、毎年変わらずに開催されてきました。新日本が平成の30年間で刻んできた東京ドーム大会の中から、平成初期(1989年~1998年)の名シーンを振り返ってみましょう。

【1】『格闘衛星☆闘強導夢』 1989年4月24日 「猪木敗北。衝撃の幕開け!」

この日、東京ドームでプロレス興行が初開催。これまで日本のプロレス団体が経験したことのない数万人規模の客席を埋めるため、当時社長だったアントニオ猪木は「格闘衛星」を謳い、日・米・ソの3カ国による対抗戦を行いました。

特にソ連の柔道家やアマレス選手たちは初のプロレス参戦ということもあり、大きな話題に。獣神サンダー・ライガーのデビュー戦が行われたほか、メインでは猪木がソ連の柔道家で金メダリストのショータ・チョチョシビリと対戦。しかし、チョチョシビリが繰り出す裏投げの連打に猪木は健闘むなしく撃沈! 新日本のドーム大会の歴史は団体のトップである猪木が異種格闘技戦で初の黒星を喫するという衝撃の幕開けとなりました。

【2】『スーパーファイト in 闘強導夢』 1990年2月10日 「初めて観客と“ダー!”を絶叫」

猪木に代わって新社長となった坂口征二は、日本プロレス時代にジャイアント馬場の後輩だったことから全日本に協力を要請。両団体の旗揚げ以来、初となる交流戦が実現しました。

日本中のプロレスファンが歓喜した同大会からは数々の名場面も誕生。メインでは試合直前の控室インタビューで、猪木が「出る前に負けること考えるバカがいるかよ!」と闘志を剥き出しにした一方、橋本真也が「時は来た! それだけだ」と謎の言葉を残す有名な一幕も。試合後は猪木が初めて観客と一緒に、「1、2、3、ダー!」を絶叫。カウントありの「ダー!」が生まれた瞬間でした。

【3】『BATTLE FIELD in 闘強導夢』 1994年1月4日 「天龍が猪木を破り、偉業達成」

天龍源一郎の団体「WAR」との対抗戦が繰り広げられた前年の総決算として、このイッテンヨンでは猪木×天龍の一騎打ちが実現します。盟友・長州力が見守る中、天龍は猪木と壮絶なぶつかり合いを展開。猪木のナックルアロー連打に天龍が気を失う場面がありながらも、最後は天龍が渾身のパワーボムで猪木からピンフォールを奪いました。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング