ソチ五輪で生まれた「メダルをかじるな」という奇妙な論調 by久田将義

TABLO / 2014年2月19日 16時0分

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「オリンピックでは国歌は直立不動で歌う」「選手の『楽しめました』というコメントはするな」「メダルはかじるな」という論調がある。

 ツイッターでつぶやいた事をもう少し、掘り下げたい。まずオリンピックに出られる選手は、これは全てと言ってよいと思うが、アスリートとして超一流、言い方を変えれば超人である。僕のような凡人とは違う次元で闘っている事を指摘したい。

 例えば高校アスリートの頂点とも言うべき、甲子園球児がどれほど凄いか、どれほど努力を重ねているか、僕には想像がつく。

 僕は、中学から高校まで明治大学付属中野中学・高校とラグビー部に所属していた。当時、東京都は『六強』と呼ばれた高校が強豪とされていた。国学院久我山高校、本郷高校、目黒高校、大東文化第一高校、保善高校、そして明大中野高校。『六強』はそれぞれ、花園出場を果たしているのでそう名付けられたのかも知れない。

 特に、国学院久我山高校の強さは頭一つ、抜けていた。久我山高校は高校日本代表選手を何人も輩出し、高校日本代表にならなくても、東京代表の選手かゴロゴロいた。

 一年の時から間近で久我山の三年のプレーを見る事が出来た。高校日本代表クラスになると、怪物にしか見えなかった。

 明大中野にも高校日本代表、日本代表候補が同級生、後輩にいた。後輩では亡くなってしまったのだが、「日本ラグビーの至宝」明治大→新日鉄釜石のスタンドオフ、背番号10をつけた松尾雄二氏の末弟、松尾雄介君がいた。

 雄介君は中学の頃に八幡山に現れ、既に中三の時から明大中野の二年生に交じってプレイをしていた。ステップの巧みな事、センスの塊だった。キック力も突出していた。「これはモノが違う」。中学生の彼を見て高校生の僕はそう思った。僕以外のチームメイト、皆がそう感じたはずだ。

 同級生には剣持誠君というウィングがいた。都で100m走の記録を持っていた。あまりに足が速く、ランパス(ランニングパスの略)という基本練習で、彼がボールを持つと、一年生は引き離されて練習にならなかったほどだ。監督は未経験の彼をいきなり、一本目の試合に出させた。未経験の為、まだタックルが出来なかったが、驚いた事に相手を追い抜かせたのち、後ろから追いかけてタックルをしていた。

 このように、もう「デキが違う」という天才的な人間がいる。それでも、花園に行けばそれより凄い怪物がいる。花園で優勝したり、大学ラグビー、社会人ラグビー(トップリーグ)で活躍をする選手たちは、超一流のアスリートだ。その超一流のアスリートたちも海外のチームにはなかなか勝てない。

 特に、世界一のチーム、ニュージーランド代表「オールブラックス」を初めとするチームは......。日本代表クラスは前述したように間近で見たり、一緒にプレイをしたもののオールブラックスクラスとなると想像がつかない。

 ただ、190cm100kg近い男が、100m12秒台で突進してきて、それをタックルできるかと考えると、これはもうちょっとした交通事故に近いものがあるのではないか。

 そういう、想像を超える世界が存在する。 

 オリンピックはまさに、そうだと思う。日本で才能の塊の選手たちが努力をして日本代表になり、世界の怪物たちと闘う。想像を超えた、次元の違う世界の人間だ。まして、四年に一度の祭典である。どう、コンディション最高までもっていくか、試合前の練習はどこまですればよいのか。試合直前の気合いの高め方は、どうすればいいのか。各自でわかっているはずである。

 因みにラグビーでは、試合前には円陣を組み、試合に出られなかったチームメイト達も含めて、叫びながら、時にはすでに涙しながらグラウンドに出ていく場合がある。

 反対に、監督自ら、笑顔に近い平常心で「楽しんで来い」というチームもある。それは、チームのカラーであり、個人個人のやり方だ。

 オリンピックのような、想像を超える次元で闘う選手たちにはそれぞれ、試合に勝つ為にコンディションの高め方が異なるのだろう。

 国家斉唱の時、歌う選手。じっと目をつぶって精神を集中する選手。国家を聞きながら、軽く足踏みをする選手。皆、負けたくて会場に来ている訳ではない。何とかして、勝ちたい一心である。

 前述したラグビー同様、「楽しんだ」方が、自分の力を発揮できる選手もいる。それを直立したまま国歌は聞くべきとか、かえってスポーツを冒涜していないか。その選手のオリンピックに出られるまでの努力に水を差さないか。精神を集中できず、負けるかも知れない。「その程度で精神が乱れるようなら元々ダメだ」という意見がもしかしたら、あるかも知れない。

 とんでもない。前述したように、オリンピック選手というのは、それだけで常人とは違う世界で闘っている。外野が余計な口を出すべきではない。逆説的に言うとそういう余計な口を出した時点で「外野」扱いで良い。選手を本当に応援しているのかと疑問に思う。

「メダルを齧るのは行儀がよくない」という意見には、そんなに目くじらを立てるほどでもあるまい。確かに僕もあまり、カッコいいとは思わない。というより、「齧らなければいけない」的空気に対して、「もう、それいいよ」という心理だ。が、押し付けても良くない。かじる自由もあるだろう、それほどの努力をしてきたのだから。はしゃぐ気持ちも分かる。

 ただ、オリンピックではないが世界大会のWBCで韓国チームが勝利した際、マウンドに旗を立てるのはいただけない、はしゃぎ過ぎの感がある。

 それと比較するのもおかしいが、メダル齧りくらいはしょうがないのではないか。「超人たちの戯れ」だ。そういう「外野」の声は選手たちの耳に入ってはいないだろうが、日本の選手たちにはそれぞれ自分たちのやり方で集中して試合に臨んで頂きたい。あえて思いっきり楽しむ人、反対に気合いを入れる人。その事によりリラックスしてベストを尽くせるのなら。その向こうにメダルが待っているのなら。

Written by 久田将義(東京ブレイキングニュース編集長)

Photo by 浅田真央 そして、その瞬間へ

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