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「ヤクザと憲法」という映画を観て考えたこと|プチ鹿島の余計な下世話!

TABLO / 2016年1月12日 19時0分

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「ヤクザと憲法」という映画が今月から公開中だ。東海テレビドキュメンタリー劇場版第8弾。昨年末、私が司会をつとめたトークライブのなかでこの映画の話題が出た。久田将義(東京ブレイキングニュース編集長)、畠山理仁(フリーランスライター)、須田慎一郎(ジャーナリスト)、青木理(ジャーナリスト)各氏が参加したトークライブでのこと。話が暴排条例のことになり、青木氏が排除される側を追った(つまりヤクザ)この映画のことを話した。

■暴排条例には"日本社会"の嫌なところが集約されている?

 そういえば、暴力団排除条例(いわゆる「暴排条例」)についてとてもわかりやすく語られていたのが「僕たちの時代」(青木理&久田将義・毎日新聞社2012年発行)だった。このなかで、久田将義が「暴排条例には今の日本社会の嫌なところが集約されていると思っているんです。」と語りだすと、青木理はそのイヤな感じについて3点述べる。

・「異物排除」
・「何がアウトで何がセーフなのか、条文が極めて曖昧でよく分からない。そうなると警察の恣意によって取り締まられたり、取り締まられなかったりという現象が起きかねない」(=警察の天下りや利権が急拡大する可能性)
・「異物が生まれてくる背景も洞察してみようとせず、ただ排除するんだという動きを嬉々として受け入れてしまっているような日本社会の現状」

 久田・青木氏とも暴力団を擁護しているわけではない。「犯罪を犯したなら、犯した犯罪によって取り締まり、処罰すればいい」だけであり、属性でひとくくりにして社会から排除しようという発想や、それを受け入れる空気についての違和感を言っていた。

 異物を取り除き、無菌化を目指す社会。私は「寅さん」を思い出したのである。寅さんは暴力団員ではなかったけれど今は暴力団に分類される的屋だ(映画パンフにも現在の寅さんの立場の解説がある)。もし警察の判断によって寅さんがアウトと言われたら? その判断をもし近所の住民が「嬉々として受け入れ」たなら?

 大打撃を受けるのはタコ社長だ。寅さんとつき合う零細工場経営者のタコに「コンプライアンス」という世論が襲い掛かる。工場は倒産の危機を迎える。タコの工場には、さくらの旦那・博もいる。皆行き場がなくなるだろう。団子屋も「黒い団子」と揶揄されるかもしれない。ひたむきに暮らしていた一家が、寅さんという「存在」だけで抹殺されるのだ。

「ヤクザと憲法」で描かれるのは寅さんのようなファンタジックな存在ではない。本物のヤクザである。野球賭博をし、何か怪しいものを受け渡しする場面もある。この映画をみたからといって彼らが好きになるわけではない。

 しかし、世の中のどこにも行き場がなくなった人が集まってくる場所であることもなんとなくわかるのだ、映画を観ると。悪い奴だから、嫌いだから、本人たちの責任だからといって「お前ら、存在すらするな」と糾弾することにちょっと考えてしまう。

《「怖いものは排除したい」。気持ちはわかる。けれど、このやり方でOKなのだろうか?》(パンフより)

「このやり方でOKなのだろうか?」は、昨今のキーワードのひとつのような気がする。

Written by プチ鹿島

Photo by 「ヤクザと憲法」公式サイトより

http://n-knuckles.com/serialization/img/kasimaph.jpg

プチ鹿島●時事芸人。オフィス北野所属。◆TBSラジオ「東京ポッド許可局」◆TBSラジオ「荒川強啓ディ・キャッチ!」◆YBSラジオ「はみだし しゃべくりラジオキックス」◆NHKラジオ第一「午後のまりやーじゅ」◆書籍「うそ社説 2~時事芸人~」◆WEB本の雑誌メルマガ ◆連載コラム「宝島」「東スポWeb」「KAMINOGE」「映画野郎」「CIRCUS MAX 」

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