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中国・天安門前で車炎上...毛沢東「肖像画」の面前で凶行が起こる意味とは?

TABLO / 2013年10月29日 20時0分

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 天安門前の道路は「長安街」と言って、片側5車線で道幅が100m以上もある広々とした道路だ。碁盤の目のように道が張り巡らされた北京の真ん中を東西にまっすぐ貫いており、何かあったら滑走路としても使える。ハンドルを切り損ねてどうこうということがまず起こりえない場所だ。

 では何が起こったのか? 中国でもほとんどの人間がこう思っているはずだ。

「何が起こってもおかしくない」

 立ち退きの問題や官憲の汚職、横暴な振る舞いで不利益をこうむっている人は数限りなくいるし、人口の10%足らずを占める少数民族のなかには、現政権の統治への不満を募らせている人々もいる。中国は、誰が暴発しても不思議ではない状況にあるのだ。

 今回の事件の現場はほぼ天安門の正面であり、どこから見ても天安門に掲げられた毛沢東の肖像が視野に入る場所だった。事件を伝えるどのニュース写真を見ても、そこには悠然と下界を見下ろす毛沢東の顔が映り込んでいる。 

 毛沢東の肖像が天安門に掲げられるようになったのは、新中国建国より前の1949年2月だという。それから現在までに8作の肖像画が描かれているが、現在のスタイルに特に影響を与えているのは、4作目、5作目の絵だ。

 4作目の肖像は、1950年の労働節(メーデー、5月1日)に天安門に掛けられた。その絵の中の毛沢東は、いくらか右側を向いていて、そのため左目の位置が右目より少し高く、耳は左耳しか描きこまれていなかった。絵が発表されてほどなく、一般の人からの抗議が寄せられた。「これでは毛主席が偏った見方をし、偏った意見しか聞かないようだ」というのが、その言い分だった。

 肖像画の担当者たちは、これはいけないとすぐに新しい肖像の製作にとりかかり、何とかその年の国慶節(建国記念日、10月1日)に間に合わせ、5作目となる新しい肖像に掛け替えた。それ以降、天安門上の毛沢東の肖像は常に、正面をまっすぐに見つめ、左右の耳をちゃんと出した型になったのだ。さまざまな意見をきちんと公平に聞くために。

 事件の真相はまだ明らかにあっていないが、ウイグル族の活動家たちが疑われているようだ。建国の父の目の前に突っ込んだ3人の声ははたして、届いたのだろうか。

Written by 劉雲

Photo by 微博に投稿された画像

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