ネットウヨク論:番外編~差別と言われない韓国批判「対馬問題」2

東京ブレイキングニュース / 2013年11月8日 22時0分

写真

 前回に続き、今回も対馬の歴史を元に、韓国が主張する 「対馬は韓国の領土だ」 という主張を全否定する。

・宗氏の入国

 対馬の歴史で最も有名なのは、代々支配していた宗氏の暗躍ではなかろうか? 実はこの宗氏の立ち回りのお陰で、その時々の朝鮮の統治者にいらぬ誤解を与えてしまっている点も大きいのだが、それはさておき。 

 この宗氏が対馬に入ったのは12世紀頃と言われており、元々は平氏の出ではないかと言われている。 宗氏は13世紀頃にはそもそもの在地勢力であった阿比留氏を上回る力を得て、対馬における最大勢力となった。

・蒙古襲来

 1274年に元と高麗が兵数4万人・軍船900艘という大軍を率いて対馬に上陸。 宗家の当主は、この時にわずか80騎ばかりの手勢で突撃し討ち死にしている。 その後、元軍は対馬・壱岐で虐殺・略奪をしつつ九州に上陸するも、指揮官の負傷など思わぬ苦戦を強いられ撤退を決意。 だがその際に風の影響で200~300艘の船が座礁し大損害を被った。 元・高麗軍の最終的な人的被害は13,000人に及んだという。(よく言われる神風は、現在では戦闘結果自体に影響はなかったとする意見の方が多い。 南宋との決戦を控えた元が、九州における陸上戦での損害を嫌い、早々と撤退したところで暴風に遭ったという説が濃厚とされる) 

 1281年になると、南宋を滅ぼした元が15万という大軍を率いて再び日本に攻め入る。 この時も対馬・壱岐は抜けたものの、元軍の損害も多く、援軍の江南軍と合流して平戸を占拠するも、日本軍の圧力に苦戦する。 その最中に台風に襲われ多くの兵船が失われた。 よく言われる高麗の船が貧弱で被害が多かったというのはウソで、実際は高麗の船の方が頑丈で、出兵した兵の7割が生還できている。 それに対し、船が貧弱で致命的な被害を受けたのは江南軍だった(沈没した船の調査で大多数が江南の船だと判明している)。 元軍全体の損害として、帰還できた将兵は多く見積もっても15万人の内の6万人(一説によると1万数千人) ほどと言われており、日本側の記録では、生け捕りにした捕虜だけで2~3万人いたとされる。

 

・宗氏の倭寇鎮圧と朝鮮貿易独占

 朝鮮は倭寇の被害に悩まされるも、独力で駆逐することができずにいた。 そこで宗氏が代わって倭寇を鎮圧。 この功を喜んだ朝鮮は、倭寇対策も兼ねて宗氏を日朝貿易の日本側窓口に指名。 これによって宗氏が朝鮮貿易利権を独占することとなった。 ちなみにこれは8代当主貞茂と、その息子貞盛の時代の話である。(宗貞茂1398年当主就任~1418年没 宗貞盛1385年~1452年)

東京ブレイキングニュース

トピックスRSS

ランキング