宮崎勤・幼女連続殺人事件から消えた5人目の被害者:未解決事件ファイル

TABLO / 2013年12月4日 11時10分

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 敬老の日の1987年9月15日、午前11時ごろ、群馬県尾島町(現・太田市)亀岡に住む小学校2年生の大沢朋子ちゃん(当時8歳)は、子猫を抱いて自宅近くの尾島公園に出かけるが、そのまま行方不明となる。翌年11月27日、自宅から約2キロ離れた尾島町前小屋の利根川河川敷、左岸の葦原から朋子ちゃんの散乱した白骨が発見された。死後1年以上経過しており、両腕の肘から先と両足の膝から先の骨は見つかっていない。

 宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)は、1988年8月から1989年6月にかけての犯行であった。埼玉県と東京・江東区で4歳から7歳の4人の女児を誘拐して殺害している。宮崎は1989年7月23日、東京・八王子市郊外の山林で女児(6歳)の裸を撮影しようとして逮捕され、連続幼女誘拐殺人の犯人であることを自供している。事件当時、朋子ちゃんの事件も、宮崎の犯行ではないかという見方があった。

 宮崎は、1989年2月、1人の被害者の遺族宅に、骨片や歯の入った段ボール箱を送り、その後、新聞社に「告白文」を送りつけている。手紙の内容は、自分が「子どもを亡くした母親」に成りすましたものだが、骨を送った理由として、朋子ちゃんの事件に触れている箇所があるのだ(ただし、宮崎は「朋子」を「明子」と誤記している)。

〈私のように、後になって骨を運んでいった人が居たのかもしれない。去年、捜索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。そして、発表の後、明子ちゃんの両親は、御葬式をだした。やはり、明子ちゃんだと限らなくても両親という物は、そういうものなのです。自分の子に対する本心の涙で、はっきりしない葬式をあげてしまいました。私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。わが子の骨を、今野宅の葬式として、正式に「お墓」に入れてもらおうと思ったのです。〉

 きちんと埋葬しなかった自分の娘の骨を被害者の骨にまぜ、一緒に葬式をしてもらおうと思ったというウソの告白である。宮崎の逮捕後、『天国の朋子ちゃん とうとう犯人が見つかったよ...』という見出しで、宮崎が『5人目も「白状」』との記事を載せた女性誌もあるが、警察は宮崎と朋子ちゃん事件との関連を認めていない。

 連続幼女誘拐殺人事件に関して、宮崎の冤罪説などもあったのだが、裁判で弁護側は被害者4人の誘拐、殺害を最初に認めるという異例の手段にでる。事実関係を争わず、宮崎の精神的な異常性に踏み込むことで、無罪もしくは情状酌量を得ようとしたためであろうが、そこにも朋子ちゃんの名前はなかった。

 その後、朋子ちゃんの事件は、2002年9月15日に時効が成立してしまう。宮崎は2006年1月、最高裁が弁護側の上告を棄却して死刑が確定し、2008年6月17日に死刑執行された。

 でははたして、朋子ちゃんの事件は連続事件ではなかったのだろうか。ところが近年、1979年から1996年にかけて、群馬県太田市と栃木県足利市で発生した5件の未解決である女児誘拐殺人を、「北関東連続幼女誘拐殺人事件」と見る報道が出てきた。その中に、朋子ちゃんの事件もふくまれているのだ。

 もちろん断定はできないが、宮崎の前例から、連続事件の可能性は無視できない。犯人が、不毛な人生の埋め合わせとして、または自意識の発露などから、宮崎のように社会に対して何らかのメッセージを送ってくる可能性にも注意しておくべきだろう。

Written by 蜂巣

Photo by 宮崎勤事件―塗り潰されたシナリオ (新潮文庫)

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