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SMAPの「森且行タブー」がついに解禁か!? メリーさんが許さなかったジャニーズの封印された歴史

TABLO / 2014年1月9日 10時0分

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 かつてアイドルはデビュー時にある程度の成功を収めないと、その後は期待できないという過酷な時代があった。「デビュー曲がチャート1位」という看板はスーパーアイドルの必須条件だったのだ。だが、その慣習をSMAPが打ち破った。チャート1位を獲得したのは、通算12作目のシングル『Hey Hey おおきに毎度あり』。デビューから3年かかっている。ここまで熟成されて頂点に上り詰めたというのはジャニーズだけではでく、アイドルとしても初めてのことだろう。現在ではAKB48をはじめアイドルでは多いパターンだが、当時では珍しいことだった。

 ライブやイベントに出演しても、数える程のファンしかいなかったこともあった。中居正広をはじめ、メンバーの誰もが「ファン(客)全員の顔と名前がわかるよ」とジョークにしていたほどで、閑散としていた客席を見るたびに将来への不安が募っていたと思われる。

 1994年に初のチャート1位を飾り、ドラマ、バラエティ、コンサートとどうにか活動が軌道に乗り始めた1996年に現在まで続く老舗番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ)が放映スタートして人気番組となった。だが、この記念すべき年にSMAPに激震が走る。中心メンバーだった森且行が自らの幼いころからの夢であったオートレース選手に転身するため、SMAPからの脱退を志願したのだ。

 これに怒ったのはメリー喜多川さんである。SMAPの結成(1988年)から8年もの苦労の末に冠番組を勝ち取った直後のことだ。突然、稲垣吾郎とともにツートップを張っていた人気者が辞めるとなったら一大事だ。メリーさんならずとも、関係者であればここまできたというのに「何故?」という気持ちだろう。

 しかし森の決意は固かった。それを押し通した結果、ジャニーズ事務所も退社して、芸能界からも去った。当時はファンも賛否両論だったが、森の夢を後押しする声の方がわずかに多かったように記憶している。

 しかしジャニーズは違った。特にメリーさんは「SMAPは最初から5人組のグループよ」とばかりに森の存在をなかったものとするようなメディア戦略を取った。当時のSMAP映像では、森は映らないように巧妙に編集されている。その冷たいとさえ感じる対応に、ジャニーズ側の思いが読み取れた。

 だが、そんな森に対する微妙な空気も最近では変化が生じている。森が着々と実績を重ね、賞金ランクにも名を残す一流オートレース選手になった2010年頃から、SMAPのメンバーが森の名前を堂々と口にするようになったのだ。ジャニーズもそれを止めなかった。オートレースでの活躍が目立つようになり、マスコミも森を無視できない状況になったこと、そして木村拓哉が森且行を「仲間だった」と認めて広く話すようになったことを契機として、SMAP周辺での「森タブー」は消えることになる。

 SMAPでは誰よりも早くドラマに主演し、歌もダンスも抜きん出ていた森且行。この男は、実力勝負の異業種でも成功して、力尽くでジャニーズを認めさせたともいえるだろう。

http://n-knuckles.com/media/img/hiramoto.jpg

「帰ってきたカルチャースタァ☆平本淳也」

Profile●ジャニーズ出身の実業家、作家、投資家。10歳でジャニーズ事務所から芸能界入り、30歳過ぎまでアイ ドルを続け、現在もテレビや雑誌で活躍を続けるなか、月間100万アクセスを獲るカリスマブロガーとしても知られる。22歳のときに物書きデビューして以 来、34冊の書籍を発表。http://ameblo.jp/junya-hiramoto/

Written by 平本淳也

Photo by 2014森且行選手カレンダー Katsuyuki Mori

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