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車種の多さがヤバすぎ! 迷走していた頃のマツダ車5選

くるまのニュース / 2020年10月21日 6時10分

マツダはバブル景気の前後の時期に、販売する車種を拡充するため販売チャネルを5つ展開しました。その頃はマツダのイキオイは凄かったのですが、迷走していたともいえます。そこで、1980年代の終わりから1990年代初頭に登場したマツダの迷車を、5車種ピックアップして紹介します。

■まさにバブルの遺産といえるマツダの迷車を振り返る

 1980年代が終わろうとしていた頃、日本がいわゆるバブル景気にわいていた時に、マツダは販売する車種の拡充を図るために、5つの販売チャネルを展開しました。

 具体的には、マツダ店、アンフィニ、ユーノス、オートザム、オートラマで、アンフィニ、ユーノス、オートザムについてはブランドとしても使われていました。

 その頃のマツダの勢いがあり、実際に急激な車種の拡大をおこない、ラインナップは拡大の一途をたどりました。

 そこで、1980年代の終わりから1990年代初頭に登場したマツダの迷車を、5車種ピックアップして紹介します。

●ランティス

スタイリッシュなクーペセダンの「ランティス」スタイリッシュなクーペセダンの「ランティス」

 1993年に発売された「ランティス」は4ドアセダンと5ドアハッチバックの2タイプのボディが設定され、いまなら流麗なフォルムのクーペセダンと呼べるモデルです。

 全長4245mm×全幅1695mm×全高1355mm(ハッチバック)のボディに搭載されたエンジンは、1.8リッター直列4気筒と2リッターV型6気筒の2種類で、当時、このクラスでV型6気筒エンジンはかなり珍しい存在でした。

 シャシは「ファミリア」などとは共有せずにランティス専用に開発されるなど、開発にはかなりコストがかかっていたと思われます。

 一方、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にV型6気筒エンジン車で参戦するも、レースで好成績を残すには至らず、速さのアピールには繋がりませんでした。

 ユニークなデザインや走りは総合的に評価が高かったものの、ヒット作になったとはいえず、1997年に生産を終了しました。

●ペルソナ

ピラーレスとしたキャビンと独創的な内装が特徴の「ペルソナ」ピラーレスとしたキャビンと独創的な内装が特徴の「ペルソナ」

 1980年代の後半になるとクルマの高級化が進み、中級サルーンにも高級さを求めるニーズが高まったことで、マツダは1988年に「カペラ」をベースとした4ドアピラーレスハードトップの「ペルソナ」を発売。

 外観はカペラのイメージを受け継ぎながらも、角を丸めることで全体的にやわらかな印象に変化し、Bピラーを排除したことで、開放感のある斬新なキャビンを実現しています。

 内装もユニークで、高級感を演出するためにラウンジソファータイプのリアシートとし、内装表皮の半分以上が革張りとなっているだけでなく、デザインを重視したためにグローブボックスを排除するほどのこだわりようです。

 搭載されたエンジンはカペラと同じ2リッターと1.8リッターの直列4気筒で、パワーはこのクラスでは平均的なものでした。

 1989年にはユーノスブランドからユーノス「300」としても発売されましたが、贅沢さに対するニーズもバブル経済の終わりとともに消え去ってしまったことで、1992年に生産を終了しました。

●ファミリアNEO

奇抜なデザインが日本では受けなかった「ファミリアNEO」奇抜なデザインが日本では受けなかった「ファミリアNEO」

 コンパクトなボディに強力なDOHCターボエンジンと、国産車初のフルタイム4WDシステムを搭載したモデルをラインナップした6代目「ファミリア」は、ラリーでの活躍もあって、スポーティモデルとしてブランドイメージが高まりました。

 そして、さらに高性能化した7代目でしたが、国内景気の低迷の影響などもあり、1994年にモデルチェンジされた8代目では高性能バージョンは用意されず、スポーティな派生車「ファミリアNEO」が登場しました。

 クーペでありながら比較的全高を高くしたことで、通常の3ドアハッチバック並みのスペースユーティリティを実現。

 海外ではスタイルが評価されましたが、国内ではデザイン的に優れていると評されることはありませんでした。

 また、エンジンも1.8リッターと1.5リッターの平凡な直列4気筒しかなく、7代目までの高性能エンジンが設定されていなかったことが不人気の要因のひとつだったようです。

 そのため、登場から2年あまり経った1996年に、ファミリアNEOはラインナップから消滅するかたちで、国内販売が終了となりました。

■メカニズム的には意欲作だったモデルとは!?

●MX-6

ほかには無い流麗なフォルムの2ドアクーペの「MX-6」ほかには無い流麗なフォルムの2ドアクーペの「MX-6」

 1992年に発売された「MX-6」は、コスモやRX-7と異なるキャラクターの2ドアスペシャルティカーとしてデビュー。

 外観はワイドボディかつ伸びやかなフォルムと、美しいボディラインが特徴のクーペで、当時のアメリカ車を意識したような印象でした。

 搭載されたエンジンは、フォードブランドで販売されていた2代目「プローブ」と同じ、2.5リッターV型6気筒と2リッターの直列4気筒を設定。

 MX-6は、車格的にライバルだった日産「シルビア」やホンダ「プレリュード」とは異なり、V型6気筒エンジンによる余裕ある走りと豪華な装備で、ジェントルな1台に仕立てられていました。

 しかし、発売した時にはバブル崩壊による景気低迷が始まっており、販売数が伸びることはなく1995年には生産を終了してしまいました。

●プレッソ

当時、世界最小のV6エンジンを搭載した「プレッソ」当時、世界最小のV6エンジンを搭載した「プレッソ」

 1991年にマツダはユーノスブランドから、コンパクトで特徴的なデザインの3ドアハッチバッククーペ、ユーノス「プレッソ」を発売。

 バブル経済の絶頂期に企画されたという背景もあり、コンパクトな車体ながら当時世界最小の1.8リッターV型6気筒エンジンを搭載し、大いに話題となりました。

 このV型6気筒エンジンは最高出力140馬力(後にハイオク仕様となって145馬力に向上)を発揮し、高級感を演出することが目的でした。

 ところが、フロントが重くバランスが悪くなったことや燃費の悪さから、同じシャシに1.5リッター直列4気筒エンジンを搭載する姉妹車の、オートザム「AZ-3」のほうが好評となります。

 その後、1993年にはプレッソにも1.5リッターエンジン車が追加され、同時にAZ-3に1.8リッターV型6気筒エンジン搭載車が追加されたことで、ラインナップの統一化が図られました。

 しかし、1998年にベース車のファミリアのモデルチェンジの際に、販売台数の低迷から2モデルともに生産終了となりました。

 プレッソは技術的には力作だったにも関わらず後継車はなく、悲運のクルマとなってしまいました。

※ ※ ※

 バブルが崩壊した後マツダの業績は悪化し、販売チャネルの縮小をおこないましたが、1996年にはフォード傘下となってしまいました。

 この頃のマツダを振り返ると悪いことばかりのように思われますが、ユーノス「ロードスター」やユーノス「コスモ」といった、いまも語り継がれる名車も誕生しています。

 その後、マツダの業績は好転し、2015年にはフォードとの提携を解消。近年はCXシリーズに代表されるSUVが好調なセールスを記録し、ラインナップの拡充を続けています。

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