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グレース・ケリーも愛したホンダ「エスハチ」は500万円オーバーで落札!!

くるまのニュース / 2020年11月16日 19時10分

ホンダが当時の持てる技術を注ぎ込んだクルマ、それが「S600/S800」であった。この両車がオークションに登場。海外でも高い評価を受けていた両車は、昨今人気を博している「ジャパニーズ・クラシック」の影響もあり、予想以上の落札価格となった。

■ホンダの夢が詰まった「S(エス)」シリーズとは?

 クラシックカー/コレクターズカーのオークション業界最大手のRMサザビーズ社は、北米インディアナ州エルクハートにて2020年5月に開催するはずだった大規模オークション「THE ELKHART COLLECTION」を、予定から約半年の延期に相当する10月23日・24日に、対面型とリモート入札の併催のかたちでおこなうことになった。

 このオークションで特筆すべきは、近年世界的な人気を博している「ジャパニーズ・クラシック」も複数が出品されたことである。

 トヨタ「2000GT」やダットサン「240Z」など、いまや国産旧車界の「スター」と称されるクルマたちがオークションカタログを賑わす一方で、軽自動車を含む、小さな国産旧車たちが大挙して出品されたことも注目に値しよう。

 そのなかから今回VAGUEが注目したのは、小さなスポーツカーのホンダ「S600」と「S800」。同時代に創られた世界のあらゆるライトウェイトスポーツカーよりも高度なテクノロジーで構成された「エス」は、日本国内はもちろん海外市場でも高い評価を受けた。

 もちろん、ここ数年の「ジャパニーズ・クラシック」ブームに乗って、国際マーケット価格も高値安定が続いているようだが、新型コロナ禍の真っただ中にあっていかなる評価が下されたのだろうか?

●1966 ホンダ「S600コンバーチブル」

むしろ日本では希少性もあって価格が高くなる傾向にあるホンダ「S600コンバーチブル」(C)2020 Courtesy of RM Sotheby'sむしろ日本では希少性もあって価格が高くなる傾向にあるホンダ「S600コンバーチブル」(C)2020 Courtesy of RM Sotheby's

 RMサザビーズ「THE ELKHART COLLECTION」オークションに出品されたホンダS600は、ホンダ初の4輪乗用車である伝説のスポーツカー「S(エス)」シリーズの第2世代にあたるモデルである。

 ホンダ「エス」は1962年秋の東京モーターショーにて、軽自動車枠に収めた「S360」と小型登録車枠の「S500」のプロトタイプ2本立てでショーデビューした。

 残念ながらS360の生産化はなかったものの、翌1963年10月にS500の生産バージョンが正式発売され、わずか5か月後の1964年3月には「S600」に進化。

 さらに1966年1月には「S800」にモデルチェンジした。つまり、リリース後のたった2年3ヶ月の短い期間で、目まぐるしく進化を遂げたことになる。

 一連のホンダ・エスはDOHCのバルブ機構、ローラーベアリングのクランク軸受に4連CVキャブレターなど、当時、すでに世界の頂点を究めつつあった2輪の世界GPや、1964年シーズンから正式参戦した「走る実験室」ことF1グランプリ譲りの超絶的なハイテクノロジーがふんだんに投入され、S600ではわずか606ccというちっぽけなエンジンを搭載しながらも「時計のように精密」と賞賛された。

 オークションに出品されたのは、1966年に北米で登録されたという左ハンドル車。昭和40年製造であることから、日本のエス愛好家の間では「40(ヨンマル)式」と呼ばれる、S600の最終バージョンにあたる1台である。

 S600/800ともに2シーターのコンバーチブルと3ドアのクーペが生産・販売されたが、出品車両はコンバーチブルであった。
 このホンダS600に、RMサザビーズは1万5000−2万ドルというエスティメート(最低落札価格)を設定したが、これはいかに不安定な市況にあっても控えめに過ぎたともいえる。ところが、どうやらこの価格設定には裏話があったようだ。

 実は「THE ELKHART COLLECTION」オークションは、詐欺の疑いで訴追されるとともに破産宣告を受けた某実業家の資産であるクルマたちを売却するためのものであり、確実な落札に至る必要があったからだと思われるのだ。

 結局オークションでは3万1360ドル、日本円に換算して約328万円というエスティメート上限をさらに1万2000ドル近く上回る、なかなか上々の結果となった。

 それでも、日本国内ないしは欧米で流通しているホンダS600としては若干低めとも映るプライスだったのは、レストアから比較的長い期間を経た使用感が否めないこと、そして次ページで後述する、アメリカにおけるS800との人気差が影響しているかに思われる。

■グレース王妃も愛用したホンダのスポーツカーとは?

 1965年末にデビューし1970年に惜しまれつつ生産を終えたS800は、ホンダ創成期の大成功作「エス」シリーズの最終型である。

●1969 ホンダ「S800コンバーチブル」

素晴らしく美しいコンディションにレストアされていたホンダ「S800コンバーチブル」(C)2020 Courtesy of RM Sotheby's素晴らしく美しいコンディションにレストアされていたホンダ「S800コンバーチブル」(C)2020 Courtesy of RM Sotheby's

 直列4気筒DOHCエンジンは、S600の606cc・57psから、ストロークを延長することで791ccまで拡大することによって70psをマーク。

 エスとしては初めて160km/hの最高速度をマークし、海外マーケットでは「100マイル(約160km/h)カー」であることを高らかに標榜した。

 しかし、排気量をまったく感じさせない素晴らしい高性能を発揮する一方で、劣悪だった当時の日本国内の道路事情下でも充分な実用性を有し、生活をともにすることのできるスポーツカーとして人気を博すことになった。

 そんなS800の高性能が公道のみに収まるはずもなく、当時の国内レースでは「GT-1」カテゴリー1000ccクラスで常勝マシンになる一方、モータースポーツの本場ヨーロッパにおいても、生沢徹のドライブで1967年ニュルブルクリンク500kmレースにて1000ccクラス優勝を果たすなど、驚くべき戦果を残している。

 S800は我が国のスポーツカー史における金字塔的傑作となった。そのうえ、最終モデルとなったマイナーチェンジ版「S800M」でも75万円という安価な販売価格が設定されたことも相まって、当時の日本人モータリストに初めてスポーツカーの楽しみをもたらした功績はきわめて大きいといえよう。

 さらにモナコのグレース王妃や、フェラーリの世界的コレクターとして知られたフランスのピエール・バルディノン氏が愛用するなど、スポーツカーについては先達たるヨーロッパのセレブリティやエンスージャストからも極めて高い評価を得たのは、日本製スポーツカーとしては恐らく初めてのことと思われる。

 このS800コンバーチブルに、RMサザビーズ社と元オーナーが設定したエスティメートは1万5000−2万ドルで、もう1台のS600コンバーチブルと同額。いずれも、かなり控えめな見立てだったようだ。

 結果として「THE ELKHART COLLECTION」オークションに出品されたクラシック・ホンダはS600とS800、そして「N600」と「Z600クーペ」ともに同額のエスティメートが設定されたことになるのだが、実際にふたを開けてみればエスティメート上限をさらに2倍以上も上回る5万400ドル、すなわち邦貨換算約528万円で落札されることになったのだ。

 もう1台のS600よりも、さらに2万ドル近い落札価格差が生じたのは、このS800が素晴らしく美しいコンディションにレストアされていることが大きな要因と思われる。

 しかしもうひとつ、とくにアメリカにおける嗜好の違いも注目すべきであろう。

 日本やヨーロッパのエンスージアストの間では、S600の小排気量ゆえの楽しさが珍重されることから、S800とのマーケット相場価格の差は皆無に等しいと認識しているのだが、その一方でパワーや快適性を重要視するアメリカにおいては、現役時代もクラシックカーとなった現代でも、やはりS800が好まれると考えられるのである。

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