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なぜフェラーリは「赤」でポルシェは「シルバー」なのか? ナショナルカラーの由来とは?

くるまのニュース / 2021年1月6日 11時50分

フェラーリは「赤」、ベントレーやジャガーは「グリーン」、ブガッティやアルピーヌは「ブルー」、メルセデス・ベンツやポルシェは「シルバー」……。こうした各メーカーに馴染みの深いボディカラーには、「ナショナルカラー」という概念があった。その歴史を解説しよう。

■ナショナルカラーって、どんなもの?

 21世紀の現在においても、フェラーリの2座席ベルリネッタならば「赤」、アルピーヌは「ブルー」、アストンマーティンやロータスならば「グリーン」がブランドをイメージするボディカラーとなっている。

 とくに世界初公開の際などにメーカーからリリースされるオフィシャル写真では、一定の法則に伴うボディカラーのクルマが登場するのが常である。

 そして、ヨーロッパ各国を代表するスポーツカーブランドがイメージカラーとする色には、実は国を代表する「ナショナルカラー」という伝統的な概念が、今なお強く影響している。

 そこでVAGUEでは、かつて国際レースに挑んだレーシングカーたちを彩るとともに、現在の自動車界でも潜在的に息づく「ナショナルカラー」について解説しよう。

 創業以来、常にイノベーティヴな試みを打ち出していたロータスが、1968年シーズンを端緒に、たばこブランドの「ゴールドリーフ」をスポンサーとし、その指定カラーである赤/金/白の3トーンにペイントされて以来、F1グランプリに参加するマシンの大部分は、スポンサーの指定するカラーでペイントされている。

 そして、その故事の以前におこなわれていた国際格式のレースイベント、とくに近代のF1を含むグランプリを走るマシンたちは、それぞれ所属するチームの国籍によって制式化された、いわゆる「ナショナルカラー」に塗られることが、半ば当たり前のごとく習慣化されていた。

 例えばフランスは、1920年代のブガッティやドラージュを端緒とするブルーが、第二次大戦後のタルボ・ラーゴやゴルディーニ、あるいはアルピーヌなどにもペイントされ「フレンチブルー」と呼ばれることになった。

 またイタリアでは、サッカーや外洋ヨットをはじめとするほかのスポーツ競技では「アズーロ」と呼ばれる明るめの青が使用されるが、レース界ではフランスの前例があったため、やむなく赤を選んだ。それが「イタリアンレッド」の始まりとされている。

 一方、世界でもっともモータースポーツの盛んな国であるイギリスでは、第二次大戦前からグリーンがナショナルカラーとされ、こちらも有名な「ブリティッシュグリーン」の由縁となった。

 そしてドイツといえば「ジャーマンシルバー」なのだが、それにはちょっと面白い裏話がある。

●ドイツは軽量化のためにシルバーに!?

70年代前半のポルシェはマルティニをスポンサーとしても、基調色にはシルバーを選んだ70年代前半のポルシェはマルティニをスポンサーとしても、基調色にはシルバーを選んだ

 もともとドイツのナショナルカラーは、1920年代のダイムラーなどに端を発するホワイトだった。ところが、新たに総重量750kg以下のマシンでおこなわれる「A.I.A.C.R.グランプリ(現在のFIA-F1GPに相当)」の第一戦、1934年シーズンの開幕戦で、750kgの規定重量を若干超過してしまったメルセデス・ベンツ「W25」が、チームの名物監督アルフレート・ノイバウアーのとっさの判断で、白のボディ塗装を剥がして軽量化を図った(!)という故事から、そののちはアルミ地色から転じてシルバーメタリックで定着。

 それは当時のライバルであるアウトウニオンや、スポーツカーレースのBMWなどにも採用されることになったというのだ。

 これらのほかにも、ホワイトとブルーの2トーンはアメリカ合衆国。イエローはベルギーのカラーとされ、主に第二次大戦後のスポーツカーレースで使用された。

 また、オランダはオレンジ、ニュージーランドはブラックとされたものの、実際に国際格式のレースで使用された例は、あまり見られなかったようだ。

 ならばわが国はといえば、1964年シーズンに初めてF1GPに参入を決めたホンダが、当初は故・本田宗一郎氏たっての希望で金色の使用をリクエストしていたといわれている。

 ところが、自国内に国際格式のレースに出るようなワークスチームを持たないはずの南アフリカ共和国(金の産出量で有名)が、実は先立ってゴールドで登録していた前例があったことが判明して、あえなく却下。

 結局、日本のナショナルカラーはホワイトの基調色をベースに、ドイツの旧カラーとの混同を避けるために「日の丸」を入れることで落ち着いたといわれている。

■同じ国のナショナルカラーでも、色調に違いが存在

 もともと「ナショナルカラー」の始まりは、アメリカの新聞「ニューヨーク・ヘラルド」紙の社主ジェームズ・ゴードン・ベネットJr.の発案により、1900年にパリを起点に開催された国別対抗自動車レース「ゴードン・ベネット・カップ(Gordon Bennett Cup)」に向けて、参加者の国籍別にボディカラーが決められたことが発祥とされる。

アルピーヌはラリーでもフレンチブルーを採用アルピーヌはラリーでもフレンチブルーを採用

 スピード競技というよりは、黎明期にあった自動車の耐久性を競ったこの都市間公道レース。参加した4か国には、それぞれ「アメリカ:赤」、「ベルギー:黄」、「ドイツ:白」、「フランス:青」が割り振られたという。つまり、レッドは元来アメリカのナショナルカラーだったことになる。

 ところが、その後のアメリカは国際格式のモータースポーツへの興味を失ったのか、赤は宙に浮いた状態となっていく。そこで、前述したフランスとの「ブルーかぶり」から、イタリアが赤を譲り受けることになった。

 こんな経緯があったせいか、イタリアンレッドは「ロッソ・コルサ(Rosso Cotsa:レースの赤)」ともいわれるように、ほかの国のナショナルカラー以上にモータースポーツとのかかわりが深いものとみられている。

「イタリアンレッド」のカラーリングは20世紀初頭のフィアットあたりから使われ、アルファ ロメオやランチア、マセラティ、そしてもちろん第二次大戦後のフェラーリにもペイントされるようになっていくのだ。

 ところで、当時のFIA(国際自動車連盟)は、国旗に使用される色のごとくナショナルカラーのトーン(色調)にも規約を設け、イギリスやイタリアのようにひとつの国に多くのレーシングチームが存在する場合には、同じ色でもグラデーションで差別化を図るように推奨していたとのことである。

 イタリアではこのグラデーションについて、例えばスクーデリア・フェラーリならば、先達たるアルファロメオが既に選択していた、バーガンディにも近いカラーリングを尊重して、鮮やかなスカーレット(鮮紅色)とした。一方マセラティやランチアでは、より深い色調のレッドが選択されていたが、一見したところでは判りづらいこともある。

一方「イタリアンレッド」以上にバラエティ豊富となったのが、イギリスの「ブリティッシュグリーン」である。

●メーカーによって異なるブリティッシュグリーン

1928年ル・マン勝者のベントレーは黄緑に近いグリーン1928年ル・マン勝者のベントレーは黄緑に近いグリーン

 1920年代中盤には「ベントレーボーイズ」の乗るワークスカーに、黄緑色に近いグリーンを採用した事例もあるベントレーは、そののちにくすんだモスグリーンへと移行。

 第二次大戦後にモータースポーツへと大々的に参入したジャガーやBRMは、ベントレー以上に濃いグリーンを選んだ。

 またモスグリーンから、植物のセージのような若草色メタリックに移行したのがアストンマーティン。そして文字どおり絵の具の「みどり」のように、鮮やかに黄味がかったのがロータス。

 さらには、見方によっては濃紺にも映る微妙な濃緑のクーパーなど、コンストラクター別、あるいは年代別に様々な「ブリティッシュグリーン」が存在した。

 それは、世界でもっともモータースポーツが盛んであるがゆえに、国際格式のレースに参加するチームの数も多かったイギリスならではのことであろう。

 現在のF1GPシーンにおいては、「イタリアンレッド」のフェラーリのみが護り続けているナショナルカラー。第二次世界大戦前にはファスシト国家の国威発揚の目的も持たされていた悲しい過去もある一方で、それぞれのマシンの母国やお国柄も表す、便利なアイキャッチでもあった。

 新型コロナウイルス禍の現代にあって、実際のクラシックカーイベントに足を運び、クラシック・フォーミュラマシンを目の当たりにする機会は、まだまだ簡単には訪れないだろう。

 でも、これから1960年代以前のレーシングマシンを、例えば写真や動画などで見る際には、これらの「ナショナルカラー」を念頭に入れておくのも一興と思われるのだ。

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