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もしも発売されていなかったら大変なことに? メーカーの窮地を救った車3選

くるまのニュース / 2021年5月19日 16時10分

現存する各自動車メーカーは、これまで必ずしも順風満帆の歴史ばかりではなく、さまざまな理由で経営危機に陥ったメーカーも存在。そこで、メーカーの窮地を救うことになったクルマを3車種ピックアップして紹介します。

■メーカーの危機的状況を救ったクルマを振り返る

 現在、日本で自動車を生産しているメーカーのなかには、過去に経営危機や窮地に陥った経験があるメーカーが散見されます。

 その理由は景気に左右されたり単純にヒットするクルマがなかったりと、さまざまです。

 さらに、現在も続いている世界的な新型コロナウイルスの感染拡大や自然災害など避けられない事象も、自動車メーカーにとって大打撃になる可能性があります。

 一方で、そうした危機的状況を救ったクルマも存在。そこで、メーカーが窮地に陥ることを救うことになったクルマを3車種ピックアップして紹介します。

●ホンダ「オデッセイ」

まさにホンダにとって起死回生の1台となった初代「オデッセイ」まさにホンダにとって起死回生の1台となった初代「オデッセイ」

 1990年代の初頭といえばいわゆるバブル景気の崩壊という一大事があり、日本の自動車産業を直撃。各メーカーとも収益の悪化が避けられませんでした。

 なかでもホンダはバブル期に高騰した開発費のツケや、同時期に大ヒット車がなかったことなどが重なり、経営状況は危機的状況となります。

 その事態を受けて、当時、三菱銀行(現在の三菱UFJ銀行)がホンダのメインバンクだったことから、三菱に買収されるのではという噂が出たほどです。

 しかし、1994年に同社初のミニバンである初代「オデッセイ」が発売されると、それまでにない乗用車と変わらぬドライブフィーリングのミニバンとして大ヒットを記録しました。

 初代オデッセイの登場以前から他メーカーからもミニバンが販売されていましたが、1BOXバンの流れを汲んだFR駆動のモデルが主流で室内の広さはそれほどでもなく、デザインが洗練されていないモデルや、今では常識のスライドドアも商用車のイメージが色濃い状況でした。

 そんななか発売されたオデッセイは「アコード」シャシをベースに開発されFFを採用したことで、低床の広い室内を実現。

 ボディは3ナンバー専用サイズで、ワンボックスカーとは明確な違いを主張するように前傾するボンネットからルーフに至るラインが、ステーションワゴンに近いイメージでした。

 エンジンは2.2リッター直列4気筒を搭載し、トランスミッションは4速ATのみ。コラムシフトを採用したことにより前席から後席へのウォークスルーも考慮されています。

 また、リアドアはヒンジドアを採用。電動スライドドアが普及する前だったこともあって、ヒンジドアでもユーザーから不満は出ませんでした。

 オデッセイのヒットを受け1996年に、より小型の5ナンバーサイズで全高の高いミニバンの「ステップワゴン」を発売して同じくヒット作となり、ホンダは経営危機から脱却することに成功しました。

●スバル「レガシィ」

現在も続くスバル車の根幹となったモデルといえる初代「レガシィ」現在も続くスバル車の根幹となったモデルといえる初代「レガシィ」

 前出のホンダと同じく、スバル(当時は富士重工業)も1980年代に経営危機を迎えていました。

 スバルは国産メーカーとしては乗用4WD車の先駆者であり、1971年にはいわゆる生活四駆の先駆け的存在である初代「レオーネ」を発売してヒット作となります。

 しかし、「スバル360」以来は大ヒットに恵まれない状況が続き、とくに国内の販売低迷が続いたことから経営状態は悪化し、1980年代の中頃には経済界で倒産の噂も出たほどです。

 そこで1989年に、レオーネで確立した4WD技術をブラッシュアップして搭載した初代「レガシィ」を発売。トップグレードには220馬力を誇る新開発の2リッター水平対向4気筒ターボエンジンを設定し、セダンだけでなくステーションワゴンの「レガシィ ツーリングワゴン」をラインナップしました。

 駆動方式はフルタイム4WDに加え、パートタイム式、FFの2WDが用意されるなど幅広いニーズ対応するライナップを展開。

 また、発売当時にはスキーブームやアウトドアレジャーの人気が高まっていたということも初代レガシィには追い風になり、高速走行から雪道までオールマイティに優れた走りを実現したことで大ヒットを記録しました。

 とくにツーリングワゴンは、ライトバンとボディを共有するのが一般的だった時代に専用設計され、スタイリッシュなデザインによってとくに人気となり、他メーカーも追従するステーションワゴンブームが起こったほどです。

 レガシィは日本のみならず北米市場でもヒットし、海外におけるスバルのブランドイメージ向上に貢献。内需だけでなく輸出拡大によってスバルの経営は盤石なものとなり、「シンメトリカルAWD」に特化したメーカーへと突き進みました。

■トヨタの世界進出成功の礎はクロカン車だった?

●トヨタ「ランドクルーザー 40」

トヨタの本格的なグローバル展開の礎になった「ランドクルーザー 40」(画像は北米仕様)トヨタの本格的なグローバル展開の礎になった「ランドクルーザー 40」(画像は北米仕様)

 今でこそトヨタは世界中でクルマの販売をおこなっていて、この新型コロナ禍にあってもキッチリと収益を獲得して大いに話題となっていますが、グローバル企業として歩みを始めた頃は決して順風満帆ではありませんでした。

 トヨタは1950年代の初頭からアジア圏や中南米に輸出を始め、1958年には初代「トヨペット クラウン」を、世界最大のマーケットであるアメリカへ本格的に輸出を開始。さらに1960年には「コロナ」をベースにした北米仕様の「ティアラ」を発売しました。

 しかし、両モデルとも品質や性能に問題があったことから、1960年末には輸出を停止する事態となります。

 そこで、代わりに輸出されたのが、クロスカントリー4WD車の「40系 ランドクルーザー」です。

 すでにアメリカでは民生用にクロスカントリー車のジープがあり、一定の需要が市場に存在していましたが、40系 ランドクルーザーの悪路走破性や耐久性が認められ、販売台数は1961年の249台から1964年には2595台へと4年間で10倍以上に増加したといいます。

 40系 ランドクルーザーの車体は強固なラダーフレームにボディを架装して製造する、クロカン車では一般的な構造を採用。

 ボディバリエーションはホイールベースによってショート、ミドル、4ドアロングに分けられ、幌ボディとメタルトップを設定し、日本ではすべて商用車として販売され、海外ではさらにロングホイールベース化されたピックアップトラックやボディ後部を架装しないキャブシャシなどもラインナップしました。

 エンジンは、発売当初は3.9リッター直列6気筒ガソリンのみで、1973年に3.6リッター直列6気筒ディーゼルエンジン、1974年には3リッター4気筒ディーゼルエンジンを追加して幅広いニーズに対応。

 大成功を収めた40系 ランドクルーザーを足がかりとして、アメリカでの販売店数は1964年末の200店から、1965年に384店、1966年には606店へと急速に増加し、アメリカでの走行に適合する3代目コロナが再び輸入されると市場に受け入れられ、改めて本格的な北米進出を果たすことになりました。

※ ※ ※

 前述のとおり新型コロナ禍の経済への影響はまだまだ続きそうで、世界中の自動車メーカーはさらなる再編もありえる状況です。

 実際に日産と三菱は2期連続で赤字となっており、今後も予断を許さない経営状況といえるでしょう。

 一方で、新型コロナ禍が収束すれば需要の復活という光明も見えており、自動車産業も苦しいなかですが歩みは止まっていません。

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