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パワーダウンは仕方なかった? 牙が抜かれていた頃のスポーティカー3選

くるまのニュース / 2021年9月10日 16時10分

クルマが公道で走るためには、安全性能に加えて環境性能の向上が社会的な責務です。そのため、これまで段階的に排出ガス規制の強化がおこなわれてきました。とくに「昭和48年排出ガス規制」と「昭和53年排出ガス規制」では大幅な有害物質削減が求められ、国産車は出力を抑えてまで規制値をクリア。そこで、パワーダウンしていた頃のスポーティカーの状況はどうだったのか、3車種ピックアップして紹介します。

■牙が抜かれていた頃のスポーティカーを振り返る

 現在、世界的にも脱炭素化へ向かっており、各自動車メーカーとも内燃機関の削減、もしくは廃止へと舵を切っています。

 一方、CO2の削減以前から、クルマの排出ガスから有害物質を取り除く努力は長年続けられてきました。

 とくにアメリカと日本は排出ガス規制が古くから強化されており、アメリカでは1970年に施行された通称「マスキー法」が有名です。

 日本でも窒素酸化物(NOx)や炭化水素(HC)に起因する「光化学スモッグ」が1970年代に社会問題となった背景から、1973年に「昭和48年排出ガス規制」が施行。CO、NOx、HCの大幅な削減が求められました。

 そのため、日産2代目「スカイラインGT-R」や「フェアレディ240Z」が消える運命にありました。

 その後も段階的に排出ガス規制は強化され、1978年に施行された「昭和53年排出ガス規制」は、世界でもっとも厳しい規制といわれたほどです。

 各自動車メーカーは規制をクリアするために、出力を犠牲にしてまで有害物質削減に取り組まざるを得ず、スポーティなクルマでも牙を抜かれた状態でした。

 そこで、パワーダウンしていた頃のスポーティカーの状況はどうだったのか、3車種ピックアップして紹介します。

●日産「シルビア」

アグレッシブなスタイルはあまり好評ではなかった2代目「シルビア」アグレッシブなスタイルはあまり好評ではなかった2代目「シルビア」

 1965年に発売された日産初代「シルビア」は、2シータースポーツカーのダットサン「フェアレディ」をベースに、美しいデザインのクーペボディを架装したスペシャルティカーとして誕生しました。

 しかし、当時の価格はセドリックを超える120万円と、若者には無縁の超高級車であり、そのため1965年から1968年までの3年間で生産を終了。生産台数はわずか554台と、まさに幻の名車でした。

 そこからしばらく空白期間がありましたが、1975年に2代目シルビアが登場。正式名称「ニュー・シルビア」がデビューしました。

 2代目は「サニー」(3代目)のシャシをベースに量産化に対応した新時代のスペシャルティカーで、外観のデザインも流麗なファストバッククーペで、スタイリッシュでした。

 しかし、エンジンはというと、キャブレター仕様の1.8リッター直列4気筒SOHC「L型」で最高出力は105馬力(グロス、以下同様)と、規制前の1.6リッターエンジンよりも劣る状態でした。

 1976年にはインジェクション化したエンジンも追加されパワーアップが図られましたが、それでも115馬力です。

 2代目シルビアはパワー的な問題だけでなく、デザインもあまり好評ではなく販売は低迷し、1979年に3代目へとバトンタッチ。

 3代目ではターボエンジンやDOHCエンジンが搭載されるなどパワーが復活し、シャープなデザインも相まって若者から高い人気を得ました。

 ちなみに、2代目シルビアにはロータリーエンジンの搭載が予定されていましたが、排出ガス規制の強化だけでなくオイルショックも重なり、計画は白紙となってしまいました。

●三菱「ランサーEX」

再び速さを取り戻すにはターボの登場まで待たなければならなかった「ランサーEX」再び速さを取り戻すにはターボの登場まで待たなければならなかった「ランサーEX」

 1973年2月に三菱は初代「ランサー」を発売。エンジンのバリエーションは1.2リッター、1.4リッター、1.6リッターの直列4気筒を設定し、ボディは2ドアクーペと4ドアセダンがラインナップされました。

 そして、デビューから遅れて同年8月に登場したスポーティグレードの「ランサー1600GSR」が登場。1.6リッター直列4気筒SOHCの「4G32型」エンジンにソレックスツインキャブレターを装着し、昭和48年排出ガス規制をクリアしつつ最高出力110馬力を誇りました。

 FRで825kgと軽量な車体に5速MTを標準装備するなど、国内外のラリーなどモータースポーツで活躍し、後のランサー=ラリーというイメージが確立します。

 しかし、初代ランサーの基本設計は前時代的で、1979年に2代目となる新時代のセダン「ランサーEX」が発売されました。

 トップグレードの「1600GT」には4輪ディスクブレーキがおごられるなど、スポーティさをアピールしていましたが、1.6リッターSOHCエンジンの最高出力は86馬力と初代よりも大幅なダウンを余儀なくされました。

 さらに、1980年には1.8リッターエンジン車が加わりますが、それでも100馬力と、初代から100kg近く重くなった車体にはパワフルとはいえませんでした。

 その後、ランサーEXがパワーを取り戻して脚光を浴びたのは、1981年に「1800GSRターボ」が発売されたことで、最高出力は135馬力まで向上。再び速いランサーが帰ってきました。

●ホンダ「プレリュード」

スペシャリティカーながら性能的に目をみはるものはなく、ヒットしなかった初代「プレリュード」スペシャリティカーながら性能的に目をみはるものはなく、ヒットしなかった初代「プレリュード」

 かつて、ホンダは「プリモ」「クリオ」「ベルノ」という3つの販売チャネルを展開していました。なかでもベルノがもっとも早くに展開され、スポーティなモデルを中心に扱い、その第1号車が同年に誕生した初代「プレリュード」です

 外観は欧州車風なデザインのスタイリッシュな2ドアクーペで、ファミリーをターゲットとした「シビック」や「アコード」と異なり、スペシャリティカーとして開発されました。

 内装では「集中ターゲットメーター」と呼称されたスピードメーターとタコメーターが一体化して、同軸で針が動くユニークなメーターを採用し、ロータリースイッチで操作できるラジオをメータークラスターの横に設置するなど、新たな試みが図られています。

 さらに、日本初の電動サンルーフが標準装備(グレード別)されるなど、まさに新時代のスペシャリティカーを目指していました。

 搭載されたエンジンは、ホンダ独自の排出ガス浄化機構であるCVCCを採用し、環境性能は高かったものの、1.8リッター直列4気筒SOHCから最高出力は90馬力(MT車)と、性能的には目をみはるものはありません。

 その後、マイナーチェンジで97馬力までパワーアップし、フロントグリルまわりのデザイン変更もおこなわれましたがヒット作にはならず、1982年に2代目へとバトンタッチ。

 2代目ではリトラクタブルヘッドライトを採用してデザインを一新し、エンジンパワーも125馬力まで向上。さらにDOHCエンジンも追加され、デートカーとしてヒット作となり、3代目ではさらなる大ヒットを記録しました。

※ ※ ※

 欧州は今でこそEVシフトが急速に進んでおり、CO2削減目標に向けて努力を続けていますが、かつて排出ガス規制は日米から大きく遅れていたといえます。

 たとえば欧州では1980年代まで触媒を搭載していないクルマが一般的で、日本やアメリカ向けよりも出力が高くなっており、1989年頃にやっとグローバルで仕様が統一されたほどです。

 当時、日本仕様の欧州車は触媒でパワーダウンしていたので、スポーティなモデルでは違法ながら触媒を取り外してしまうケースも珍しくありませんでした。

 現在は国内外で性能差はほとんどありませんが、いわゆる「本国仕様」がもてはやされた時代です。

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