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なぜ「MT車」は生き残る? ATより手間でも設定車は健在! 「新車比率1%」でもMTが残るべき絶対的な要因とは

くるまのニュース / 2022年5月11日 7時10分

「なぜ、MTは人の心をくすぐるのか?」。MT車比率はわずか1%程度といわれるなかでもMT車が生き残る要因とはどのようなものなのでしょうか。

■合理的になればなるほど、非合理的なMTを魅力に感じる?

 クルマのトランスミッションには大きく分けてAT(オートマチックトランスミッション)とMT(マニュアルトランスミッション)が存在します。
 
 現在、新車販売台数で見れば、現在のMT車比率はわずか1%程度といわれていますが、それでもSNSなどでは「MT絶対主義」ともいえる投稿を見かけることがあります。
 
 では、なぜMTは人の心をくすぐるのでしょうか。

 それぞれの特徴は、文字通り自動的に変速するものがAT、ドライバー自らが変速するものがMTとなり、運転免許証で「AT限定」となっている場合はMTの運転は出来ません。

 地域や教習所にもよるといわれますが、現在では普通自動車免許の新規取得者のおおよそ7割程度がAT限定免許を選択するようです。

 また、新車のAT/MT比率において、1985年には新車販売台数の半数以下、比率にして48.5%しかなかったAT車ですが、1990年代以降急速に普及し近年では新車販売の実におよそ99%がAT車(CVTを含む)となり、現在のMT車比率はわずか1%程度です。

 MT車が設定されているのは、軽トラックなどの商用車、そしてスポーツカーなどの極めて限られたモデルとなっているのが現状です。

 新車でMT車を購入しようとすれば、おのずと選択肢は狭まってしまいますし、ATやCVTの進化が著しい昨今では、MT車のほうが燃費性能が高かったり、価格が安かったりという合理的なメリットはほとんどありません。

 ひねり出せば細かなメリットを挙げることはできるかもしれませんが、それをどれだけ並べ立てたとしても、AT車を検討している人がMT車を選ぶ決定的な理由にはならないのが実際のところです。

 誤解を恐れずにいえば、現在はMT車を選ぶ合理的な理由はほとんどありません。

 そうした昨今の事情ながら、クルマを愛する人達のなかには「クルマは絶対MTが良い!」という人は少なく、多くはMT車の「クルマを操る楽しさ、『人馬一体』となる楽しさがある」と魅力を語ります。

 一方で「AT車のドライバーは楽をしすぎているから、MT車のドライバーのほうが運転技術が高い」とか「MT車のほうが複雑な動きを必要とするからボケ防止になる」といった真偽不明の説を持ち出して、MTの布教活動をする人もいます。

 個人の趣味を押し付けるような意見には賛同しかねますが、いずれにせよ、熱狂的なMT車ファンが存在するのは疑いようのない事実といえます。

 本来、MTとは一部の愛好家が楽しむためのものではなく、クルマの構造上必要不可欠なものでした。

 それが1939年にアメリカで初のAT車が登場し、1960年代に日本車でも普及がはじまってから、街を走るクルマの多くがAT車へと移り変わっていきました。

 クルマに限った話ではありませんが、人は便利な方へと流れていくものです。

 実際、多くの人にとってシフトチェンジやクラッチ操作は大きな負担であり、ATのほうが便利であることはいうまでもありません。

 自動運転が普及すれば、そもそもハンドルすら握る必要がなくなるといわれています。

 もし、安全性などが十分担保されれば、ほとんどのクルマが自動運転車となることでしょう。

 つまり、人は本質的には運転という行為を好まないといえます。

 できることなら運転したくはないが、移動する必要性からやむをえずハンドルを握るという人は決して少なくないでしょう。

 一方、そんななかでも運転という行為に楽しさを感じる稀有な人もいます。

 そうした人達は、むしろ運転に関わる動作を増やしたいとさえ思っています。そこにMTの需要が生まれます。

 前述したように、現在のMTには合理的なメリットはほとんどありません。ただ、人はすべての物事を合理性だけで判断する生き物ではありません。

 スポーツはその良い例です。生命維持が動物の基本的な目的と考えれば、スポーツのように自ら身体を痛めつけるような行為は、決して合理的とはいえません。

 実際、日々を生き抜く野生の動物はできる限り体力を温存することを優先しています。

 ただし、先進国に暮らす人間の多くは、生死を掛けて日々を生き抜いているということはありません。生命維持には十分以上の食事や住環境がある場合がほとんどです。

 そうなると、人はスポーツのような娯楽を求めます。あえて身体を痛めつけるスポーツという行為も、生きるうえで恵まれた環境があるからこそ成り立つものです。

 MTもこれに近いものがあると筆者は考えます。ATのように便利なものがあるからこそ、あえて不便な行為を楽しむことができるというのは、多くのスポーツ、多くの娯楽と共通する点です。

 逆説的ではありますが、そもそもATがなければ、MTを楽しむという概念すら成立しないことでしょう。

 繰り返しにはなりますが、現在のMTに合理的なメリットはまずありません。そのため、MTのメリットを合理的に語ろうとすればするほど理解は得られにくいでしょう。

 ただし、非合理性を楽しめることが、人間を人間足らしめているものであるとも考えます。

 であるならば、MTファンはいさぎよく「好きだから!」「楽しいから!」という、最も非合理的でありながら、ある意味でこれ以上なく合理的な理由を伝えるのが良いのではないでしょうか。

※ ※ ※

 聖書には「人はパンのみにて生くるものにあらず」という言葉が登場します。

 人間は、物質的に満足すればよいのではなく精神的に満たされることが重要である、という意味合いで用いられるこの言葉ですが、MT車にも当てはまる部分も多いと筆者は考えます。

 たしかに、ATは便利です。

 しかし、便利になればなるほど人は満足するというものではなく、便利になったからこそ不便なMTを愛おしく感じる人もいるのでしょう。

 そのように考えると、MTがクルマ好きのオトコ心/オンナ心をくすぐることは、聖書の時代から必然のことだったのかもしれません。

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