あの日、第1スタジオで何が起こっていたのか 放火から犠牲者搬出、11時間ドキュメント 京アニ事件1年

京都新聞 / 2020年7月17日 17時0分

窓から猛煙を上げて燃える第1スタジオ(2019年7月18日午前11時53分、京都市伏見区)

 36人が犠牲になり、33人が重軽傷を負った昨年7月18日の「京都アニメーション」第1スタジオ(京都市伏見区)の放火殺人事件。国内外で愛されるアニメを生み出してきた建物が炎と煙に覆われ、殺人事件では平成以降最悪の大惨事となった。猛煙に包まれた建物内で社員たちは懸命に脱出を試みた。近隣の人たちは救助に駆けつけ、遺体に接した人たちは失われた命の多さに言葉を失った。京都新聞社のこれまでの取材や独自に入手した資料と、関係者の証言を基に、犯人が火を放ってから全ての犠牲者を運び出すまでの約11時間を再現する。

 この日、京都市内の上空は梅雨前線の雲に覆われていた。新興住宅地の一角にある3階建ての第1スタジオでは、いつも通りに出勤してきた20~60代の男女70人がそれぞれの作業に励んでいた。

■午前10時半ごろ事件発生 「死ね」爆発音

 午前10時半ごろ、正面玄関のドアからいきなり男が入ってきた。男は1階中央付近にあるらせん階段の西側に回ると、「死ね」と叫んでバケツでガソリンをまき、着火用ライターで火を放った。「キャー」という女性社員の叫び声とともに、ドッドッドッという爆発音が響いた。

 午前10時31分40秒、スタジオの近くの防犯カメラがこの火災の最初の記録とみられる映像を撮影していた(経過表1)。1階の窓ガラスが割れ、網戸が外れた。7秒後に1階東側の窓から炎が噴出。揮発性が高いガソリンが使われたことで1階にいた社員は放火直後に爆発的な燃焼に襲われた。

 1階には12人の社員がいた。らせん階段のすぐ横にいた2人は爆発に巻き込まれたとみられ、現場で命を落とした。出火直後に階段で2階に上がり避難を呼び掛けた1人を含む残りの10人は屋外に脱出した。しかし3人は重いやけどを負い、入院先で翌日以降に亡くなった。

 「爆発音がして煙が上がっている」「負傷者が多数いる」。男が火を放って1分数十秒後から、京都市消防局消防指令センター(中京区)には近所の人たちの119番が次々と入り始め、通報は全部で22件に上った。

 社員のうち半数超の37人はかろうじて自力で外に出た。全員の避難行動を分析した同局の松苗春夫予防課長(49)は「全員が亡くなってもおかしくない過酷な状況だった」とした上で、「あれだけの数の人がよく脱出できた」と強調する。

 建物には、主階段とらせん階段の二つの避難ルートがあった。総務省消防庁の火災シミュレーションでは、両階段に煙が充満した時刻は出火30秒後。この時点で階段は使えなくなり、脱出者の主な避難路になったのは2階のベランダだった。2、3階からの脱出手段は飛び降りるか、はしごを伝うかしかなかった。

■墨汁のような黒煙に視界を阻まれて

 「炎より先に煙が一気に噴き出してきて、腕の先が見えないほど真っ黒になった」。2階から生還した50代男性社員は出火直後をこう証言する。

 男性社員は墨汁のような煙に視界を阻まれる中で窓から差し込むかすかな光を見つけた。口を手で覆い、姿勢を低くして光を目指して進み、窓を通ってベランダへ出た。地上まで4~5メートル。ためらっていると、先に飛び降りた人から「まだ助かる!」と励まされた。手すりを乗り越えてぶら下がり、手を離した。着地時に体を強打したが一命は取り留めた。「阿鼻叫喚(あびきょうかん)。(着地後は)周りに気を失っている人やねんざをした人。服が燃えている人もいた」と男性社員は振り返る。

 午前10時33~36分、防犯カメラ映像を基にすると、3階から下りてきた6人と1階から避難を呼び掛けるため上がった1人を含む計27人が2階のベランダと窓から次々と飛び降りていた(経過表3)。

 救助に駆けつけた一般市民の機転で3階から奇跡的に生還した男性社員がいた。この男性は屋上階段へ向かう20人に続こうとしたが、煙で呼吸困難に。空気を吸おうと3階の窓から身を乗り出した。その時、外壁からわずかに突き出している飾り石が目に入った。窓から外に出て石に足をのせ、地上7~8メートルの地点で外壁にへばりついた。

 スタジオの横の駐車場で整備作業中だった会社員高橋龍児さん(40)らが男性社員に気付く。はしごを抱えて駆けつけたが、掛けられる所が建物の北端にしかなかった。はしごまでの数メートルを社員は恐る恐る外壁沿いに移動した。北端まで来たが、今度ははしごの高さが足りない。はしごに上った高橋さんが両腕を広げて待った。「信じて下りてこい」。といを伝って下りてきた社員を高橋さんが抱きとめた。

 午前10時38分、1階にいた女性社員3人が最後に外へ逃げた。3人は放火犯におびえて1階トイレに逃げ込んだ。恐怖心からドアを閉めたことが結果的に炎や煙の流入を防いだ。だが、窓には格子があり、外へ出られなかった。救助活動中の作業員らがバールで格子を壊し、3人を脱出させた(経過表4)。

■出火2分間で生死が分かれた

 出火2分後の午前10時33分前後に、シミュレーションでは建物内全体が人間が耐えられない高温に達していた(経過表2)。この時までにベランダへ出るなどしていなければ、生存は極めて難しかった。生死を分けたのは、避難にかかった時間のわずかな差と、偶然の要素だった。

 スタジオから脱出した37人は周辺の4カ所にかたまっていた。社員のことを親しみを込めて「京アニさん」と呼んでいた近所の人が救護に走り回る。スタジオの北約120メートルにある公園では住民が家からシートを持ち出してきて負傷者を座らせ、うちわであおいだり氷を当てたりして介抱し、励ましの言葉を掛けた。

 全身にやけどを負った女性が住民に「痛い、痛い。早く救急車を」と助けを求めた。母親に電話をしたいと訴え、住民に携帯電話を借りた。やけどがひどくて携帯を持てず、住民が代わりに持ってあげた。最初は会話をできていたが、徐々に意識が薄れていった。「まるで戦場だった」。複数の住民がそう表現した。

 午前10時40分、出火9分後に市消防局の最先着隊が現場に到着した(経過表5)。

 午前10時46分、治療の優先順位を決めるトリアージを始めた(経過表6)。午前11時3分に救急搬送が始まり、重症を意味する「赤」のタグを付けた負傷者から次々と病院へ運ばれた。五つの病院から医師や看護師が到着。スタジオの前に救護所のテントを立て、高度救急救護車の中でも治療が始まった。

 消火と救助活動は困難を極めた。窓という窓から煙と炎が噴き出している。ベテラン消防隊員が「いままで経験したことがない火災」という燃え方だった。先着隊は建物に入ることができず、外から放水するしかなかった。

■到着25分後、消防隊がスタジオの中へ進入

 午前10時55分、消防隊が1階へ進入した(経過表7)。市内にある消防・救急車両の半数に当たる55台が出動したが、スタジオの中に入れたのは出火約25分後だった。建物内は防火衣を着ていても消火しながらでなければ進むことができなかった。

 京都第一赤十字病院の救急科部長、竹上徹郎医師(50)は午前11時50分に現場に入った。重症者の搬送はほぼ完了しており、中等症の1人を診た。

 午後0時45分、後で不調を訴えた1人を除いて負傷者全員の救急搬送を終えた(経過表8)。竹上医師は「中に多くの人が残されているが、簡単に搬出できる状況ではない」と判断。いったん第一日赤に戻り、搬送された負傷者の治療に加わった。
 午後1時45分、はしご車で屋上へ上がった消防隊が、屋上階段がある塔屋の扉を開け、多くの人が倒れているのを見つけた(経過表9)。

 午後3時19分、火災は鎮圧状態に(経過表10)。この前後に竹上医師はスタジオへ戻っている。現場に残っていた医師から引き継がれた作業は、建物内から次々と運び出される人の死亡確認だった。

 損傷が激しく性別さえ分からない人もいた。消防隊はこれ以上体を傷つけまいと1人の遺体を4人がかりで運び出した。

 午後4時半ごろ、1階と2階で見つかった13人の搬出を終えた(経過表11)。京都第一赤十字病院の救急科部長、竹上徹郎医師は立ったままで死亡確認を行い一人一人に手を合わせた。「丁寧に最期の確認をさせていただくことしかできることはなかった」

 遺体は4キロ離れた京都府警察学校(伏見区)に運ばれた。府立医科大法医学教室の池谷博医師(51)は昼すぎ、全ての遺体を司法解剖するため医師を用意すると府警に打診した。「どんな状況で亡くなったかを残さないと犠牲者は浮かばれない」との強い思いがあった。

 府立医科大法医学教室から5時ごろに、身元不明遺体を歯の治療痕などを診て鑑定する歯科医が警察学校へ出動。府歯科医師会が派遣した歯科医と協力し合い、体育館で口腔内の観察と記録を始めた。

 「志を抱いて出勤したのに、こんな状態で僕らの前にいる」。鑑定に加わった府歯科医師会の岡本肇専務理事(65)はやりきれない思いがこみ上げた。凄惨(せいさん)な姿を前に涙を流す歯科医もいた。

■「喜んでたもんね、ここへ入社できて」無念の祖父

 入社後間もなかった動画担当の大野萌(めぐむ)さん(21)の祖父が孫の安否を確かめに現場を訪れた。雨の中を取材に応じ、記者が何重にも囲んだ。京都新聞社記者のレコーダーに雨粒が傘をたたくバッバッバッという音が録音されている。

 「居ても立ってもいられないからここへ来た」「喜んでたもんね。ここへ入社できて…」。雨音をぬって響く声。大野さんは後に3階で亡くなった社員の一人と判明した。
 スタジオの約1キロ南にある京アニ本社前では八田英明社長が午後7時前に報道陣の取材に応じた。疲れ切った顔で「真面目に仕事をしている。法治国家でこんな事件が起こるのはおかしい」と語気を強めた。

 午後9時12分、消防隊は階段で見つかった20人の搬出を終え、全ての遺体を運び出した(経過表12)。最初の出動から10時間37分がたっていた。

 午後9時半ごろ、カメラのライトが照らすスタジオ近くで消防職員がこの日最後の囲み取材で報道陣に明かした(経過表13)。「残念ながら33人の死亡が確認された」。懸命の活動にもかかわらず、屋内から助け出せた人は1人もいなかった。

 第1スタジオは数多くの名作を魔法のように紡ぎ出す最前線だった。アニメ作りのほとんどの工程を自社でまかなう京アニの中核となる製作拠点として完成。「けいおん!」「響け!ユーフォニアム」シリーズなど、細密で透明感あふれる映像美と、若者の日常を丁寧に描いた話題作を次々と送り出した。

 1階にはスケジュール調整などを担うマネジャーの席や音声収録室、サーバー室があった。サーバー室からは、火災の数日後に焼失を免れた原画のデジタルデータが見つかった。

 2階では入社したてのアニメーターを含む20代や30代の若手が原画や動画を描いたり、演出をしたりしていた。美術や色彩、背景のスタッフの作業スペースでもあった。3階は若手を中心に作画を行い、ベテランや中堅の席や会議室もあった。

 映画「聲(こえ)の形」の製作過程を記録した映像がある。ひたむきに作画に励む社員を映し出しつつ、スタッフ間のコミュニケーションを取りやすくするため席替えをしていることや、笑顔が絶えない打ち合わせの様子を紹介している。監督の山田尚子さんは「皆で作っているということ、なるべく大きい声で、笑顔で、を大事にしている」と全社員の心情を代弁していた。

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