反原発訴え半世紀、京大元講師荻野晃也さん遺著 組織で孤立し反対貫く苦悩も

京都新聞 / 2020年9月10日 8時45分

末期がんの病床で原稿を校正した赤鉛筆。手の力が弱まり何度も落としたが、拾えるようヒモを付けてある(宇治市・荻野さん宅)

 反原発運動に1960年代から関わった原子核物理学者の荻野晃也さん(京都府宇治市)が今年6月に80歳で亡くなり、遺著「科学者の社会的責任を問う」(緑風出版)がこのほど、出版された。京都大工学部助手が長く、講師になったのは定年退職の数年前。核物理研究拠点に所属しながら、地震国日本で原発を建設する危険性を訴え続けた人生を振り返る内容で、がんで亡くなる直前まで校正の筆を執った。

 荻野さんは、日本初の原発設置許可取り消し訴訟である四国電力伊方原発訴訟(1973年提訴、92年最高裁が住民側上告を棄却)に特別補佐人として参加。活断層の地震リスクを証言するなど、物理学者として原発の危険を50年間訴え続けた。定年後は電磁波環境研究所を主宰し、電磁波の健康リスク問題でも多数の著作がある。

 遺著「科学者の社会的責任を問う」は、がん告知された3年前から執筆を始めた。荻野さんは同著で、70年前後の大学が原発推進一色で、初期の反原発運動に対し科学者たちが冷淡だったことをつづる。荻野さんは活断層説に立って証言する地震学者を探し回ったが、地震学者たちは官庁や大企業の協力で地質調査していることを理由に「私の学者生命を断つ気ですか」などと断り、やむなく荻野さんが活断層説を調査研究して法廷で証言した。

 電力会社が「企業秘密」だと核燃料棒データを公開しなかったこと、微量放射能の危険性や炉心溶融リスクを指摘しても国側証人の科学者たちが否定したことなど、福島第1原発事故前の原発訴訟の経過と科学者の姿勢を振り返っている。荻野さんは「原発推進の為の教室の関係者として苦しい選択であった」「追い出されるような雰囲気」と書き、組織の中で一人反対の声を貫く苦しさも垣間見える。

 また同著は、反核の横の連携を目指した「全国原子力科学技術者連合」(全原連)誕生と京大支部、京大医学部が核物質トリチウムを注射する人体実験参加を京大寮生に募集したことへの撤回運動、京都府久美浜町(現・京丹後市)や岡山県・鹿久居島などの反原発住民運動との連帯、全国で初めて京都で開催された「反原発全国集会」(75年)など、70年代反原発運動の貴重な証言やビラ、会報史料を含む。

 「福島原発事故で避難しておられる方のことを思うにつけ、力不足で裁判に負けてしまったことを後悔するばかりです」と、荻野さんの残した言葉には無念さがにじむ。「原発では何よりも経済性が重視されることになります。時の政府の言いなりになるような科学者・工学者などを総動員して、安全審査を通過させて建設を強行するのです」と、伊方訴訟で明らかにした安全審査のずさんさがなぜ生かされなかったのか、社会に問いかけている。

 荻野さんはノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士に憧れて京大理学部で原子核物理を学んだ。その思いから戦時中の京大の原爆研究や、戦後の湯川博士が核兵器廃絶を訴えながら、なぜ核廃棄物やプルトニウムで連続する原発問題には沈黙していたのか、湯川博士の授業の思い出に触れつつ、たどっている。269ページ、2750円。

 

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