何が政治利用なのか! 東山紀之「反ヘイト本」が朝鮮学校無償化見直しを批判

リテラ / 2014年12月7日 17時0分

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 先日、本サイトで報じた「東山紀之が反ヘイト本を出版していた」という記事は大きな反響を呼んだ。少年隊の東山紀之が4年前に出版していた自伝的エッセイ『カワサキ・キッド』(朝日新聞出版)で、自らの出自や在日コリアン一家との交流を告白し、差別され、虐げられているマイノリティへの思いを綴っていたことを知った読者から、「なんてまっとうな主張だ」「東山さんのことを見直しました」といった称賛の声が集まっているのだ。

 しかし、その一方で、本サイトに対しては「東の個人的体験を政治利用している」「東山の話は反ヘイトとなんの関係ない」「東の美しい思い出をクソ記事でけがすな」「安倍首相の非難の為に東山氏の人生や人生観を利用するな」「この記事じたいが安倍さんへのヘイトだ」という批判が数多く寄せられた。

 たしかに、本サイトは先の記事で『カワサキ・キッド』のことを「反ヘイト本」と表現した。「中国人はゴキブリ」「韓国人はダニ」というヘイトスピーチをがなりたてる神社宮司の本を「日本人の誇り」と絶賛する安倍首相に「東山の本を読め!」と説教もした。

 だが、それのどこが政治利用だというのだろう。そもそも「反差別」は政治などではない。人を人種や国籍、性、宗教などで差別しない、というのは国際社会が一致して掲げている普遍的な原則であり、すべての人間が人間らしく生きる尊厳の基盤なのだ。

 そのことをきちんと理解して反差別を主張している文章に出会ったら、それを社会に活かそうとするのは当然だろう。その本を紹介することで、人間の尊厳を揺るがそうとする愚劣な動きに抗し、最高権力者の差別扇動を押しとどめようとすることが、なぜ政治利用になるのか。

 菅原文太のケースでもそうだったが、要するに、彼らは芸能人が語ったことを「ただの美談」「個人的な体験」に矮小化しておかないと気が済まないだけなのだ。それを社会問題に敷衍し、具体的な政策や政権の問題につなげようとした途端、ヒステリックに「政治利用だ」と排斥しようとする。

 彼らにどんな思惑があるのかは知らないが、しかし、当の東山はけっして、個人的な思い出話としてこうしたエピソードを書いた訳ではないし、具体的な政策批判に踏み込むことだって恐れてはいない。

 それは同書を読めば明らかだ。たとえば、東山は在日問題についても、たんに在日コリアン一家への思いだけでなく、朝鮮学校無償化見直し問題にまで踏み込んでいる。

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