自民党300議席超? 選挙なんて関係ない。ヤツらに「主権」を売り渡すな!

リテラ / 2014年12月14日 8時0分

写真

 衆議院選挙。いよいよ投票日だ。メディア上では、これまで選挙のたびに繰り返されてきた「あなたの一票が政治を変える」「投票によって政治参加を」というセリフが相も変わらず溢れかえっている。

 嘘も休み休みいえ。その同じメディアが自民党300議席超を報道しているじゃないか。選挙結果は選挙前から決まっているのだ。

 たしかに制度上は、対等な個人が平等な一票を有しているということになっている。しかし政治制度上の平等の裏側には社会的不平等がコインの裏表のように張りついている。一介のサラリーマンより、カネと組織を握ってるやつのほうが政治的影響力を持っているのは当然だ。バラバラな個々人による政治意思の表明である投票を待つまでもなく、社会構造として、どのような政治集団が権力を握るかは決定されている。

 そんな選挙で安倍自民党が圧勝しようと、何も落胆する必要などない。選挙というシステムを、民主主義という制度を、根底から問い直してみれば、わたしたちにとっての政治とはもっと自由なものであることが見えてくるはずだ。

 現代日本社会では投票が民主主義の根幹だとされている。総務省HPにはこう記載されている。「ふだんのくらしの中で感じる思いや願いを、私たちの代わりに国や地域で実現してくれる人々を選ぶこと、それが『選挙』です。」

「私たちの代わり」になる者などまったく見出せない選択肢のない現実を前にしても、何とか妥協を重ねて投票すべきなのだろうか。自分が推したわけでもない政治家の決めた政策でも、選挙に参加した有権者である限り従わなくてはならないのだろうか。

 こうした民主主義に抱く疑問をすでに300年も前に深く考察し、明確な回答を提示している書がある。J.J.ルソー『社会契約論』だ。ルソーは主権が人民にあることを説いて近代社会思想の礎を築き、それは日本国憲法にも主権在民の宣言として生きている。

 わたしたちが小学校の児童会からはじまり国政選挙まで、この国で繰り返し民主主義のあるべき姿として教え込まれているのは「代議制民主主義」である。しかしルソーは同書のなかで、「代議制民主主義」が人民主権を否定するものであることを断言している。

 ルソーはこう語っている。

〈イギリスの人民はみずからを自由だと考えているが、それは大きな思い違いである。自由なのは、議会の議員を選挙するあいだだけであり、議員の選挙が終われば人民はもはや奴隷であり、無にひとしいものになる。人民が自由であるこの短い期間に、自由がどのように行使されているかをみれば、[イギリスの人民が]自由を失うのも当然と思われてくるのである。〉(光文社古典新訳文庫版より、以下同じ)

本と雑誌のニュースサイト/リテラ

トピックスRSS

ランキング