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愛すべきセガ60周年! ファミコンと同年発売・家庭用ゲーム機の開発、そして撤退

マグミクス / 2020年6月3日 8時10分

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■セガは「ジュークボックス」から始まった

 1980年代から1990年代にかけてさまざまな家庭用ゲームハードや個性豊かなゲームを世に送り出し、熱狂的なファンを生み出したセガが、設立60周年を迎えます。これを記念して、セガが歩んだ激動の歴史を、「SG-1000II」から「ドリームキャスト」まで、セガのハードを買い続けたライターの早川清一朗さんが振り返ります。

* * *

 株式会社セガは戦後から6年経過した1951年に、「サービスゲームズジャパン」として設立されました。この頃はアメリカからジュークボックスを輸入し、クライアントへ納入およびメンテナンスを行う業務を行っています。

 ちなみにジュークボックスというのは内部に大量のレコードが収められた音楽機材で、お金を入れると好きな音楽が流れ出るようになっていました。筆者が子供の頃にはボウリング場などで見かけることもありましたが、最近ではストリーミング配信が可能なデジタルジュークボックスが主流になっているようです。

 1960年には営業部門の「日本娯楽物産」と製造部門の「日本機械製造」に会社を分割し、自社開発に乗り出します。結果として国産初のジュークボックス『セガ1000』の開発に成功し、ハードウェア自社開発の伝統が生まれるのです。このとき名付けられた「セガ」は「SERVICE GAMES」の頭2文字ずつを組み合わせたものであり、将来の社名となりました。

 1964年には「日本娯楽物産」が「日本機械製造」を吸収する形で再度合併し、アーケード事業に乗り出します。翌1965年には「ローゼン・エンタープライゼス」と合併し、社名を「セガ・エンタープライゼス」に変更、アミューズメント施設事業に乗り出します。1969年には「ガルフ・アンド・ウエスタン・インダストリーズ」の傘下に入り、1971年には『フリッパーピンボール』発売を発売、そして1973年には「世界で初めてヒットしたビデオゲーム」として有名なアタリの『ポン』をコピーした『ポントロン』を開発・発売を行います。今でこそコピーは違法とされていますが、このころは鷹揚な時代であり、開発に携わったセガの元社長、佐藤秀樹氏は「『ポン』には回路図が全部ついてきた。ICのナンバーも全部書かれている。オペレーターズマニュアルの一部のつもりだったのかもしれない」と回想しています。

■家庭用ゲーム機の開発、そして撤退

セガを代表するキャラがハリウッド映画に『ソニック・ザ・ムービー』 (C)2019 PARAMOUNT PICTURES AND SEGA OF AMERICA, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

 1983年にはセガ初の家庭用ゲーム機となる「SG-1000」を発売。同年には任天堂の「ファミリーコンピュータ」も発売されています。「SG-1000」は佐藤氏によると「ファミコンの余波で16万台も売れた」そうで、佐藤氏自身も現場に駆り出された際には「セガのファミコンです」といって売ったこともあるそうです。実際問題として、「SG-1000」はセガが開発した家庭用コンピュータ「SC-3000」を家庭用ゲーム機として手直ししたものなので、言葉のロジックとしては嘘ではないのでしょう。

 翌1984年には大川功氏率いるCSKグループ傘下となり、初めて日本の資本の元で活動できるようになります。同年「SG-1000II」が発売され、こちらもヒットします。なお、筆者と母親がおもちゃ屋さんの店員に「ファミコンと似たようなのがありますよ」と言われて購入したのがこちらのハードで、『スタージャッカー』というシューティングゲームを楽しんだ記憶があります。

 その後のセガはアーケードで『スパースハリアー』『アウトラン』『ハングオン』『アフターバーナーII』と大型筐体で次々とヒット作を輩出します。家庭用ゲーム機でも1985年に「セガ・マークIII」、1986年には北米市場用に「セガ・マスターシステム」を発売しています。「マスターシステム」は逆輸入の形でマイナーチェンジを施したのち、1987年に日本でも発売されました。日本では「ファミコン」に対抗できなかったものの、欧州やブラジルでは大ヒットしています。

 1988年には初の16bit機となる「メガドライブ」が発売され、今も根強いファンに愛好されるヒット作となりました。アメリカ・カナダ・メキシコでは「GENESIS」という名称で、それ以外の国では「メガドライブ」のまま発売され、世界的ムーブメントを引き起こすほどの大ヒットを記録しています。1991年に発売された「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」シリーズは、今もセガの代表的なタイトルとして健在です。

 さらにアーケードでは「バーチャファイター」シリーズや「バーチャロン」シリーズで時代の最先端を駆け抜けたセガは、1994年に過去のゲーム機の性能をはるかに超えた高性能機「セガサターン」を発売します。個性豊かなゲームのみならず、藤岡弘、さん演じる「せがた三四郎」や「湯川専務」など広告戦略でも存在感を発揮しますが、ソニーの「プレイステーション」に対し序盤は優勢だったものの、徐々に形勢が逆転し、後塵を拝するようになります。

 そして1998年にはより高性能な「ドリームキャスト」を発売し魅力的なゲームを数多く発売しますが、ミニシリーズをのぞけば、これがセガ最後の家庭用ゲーム機となってしまいました。

 家庭用ゲーム機事業撤退の際には巨額の損失が発生し、一時倒産も危ぶまれたセガですが、大川功氏が850億円の私財を寄付してくれたことにより、危機を脱します。

 2000年には会社名を「セガ」に変更し、ゲームの開発会社として精力的な活動を行い、今も多くのファンの心をつかみ続けています。このまま70年でも、80年でも愛される存在でいてほしい、それが筆者の切なる願いです。

※参考文献:『元社長が語る! セガ家庭用ゲーム機 開発秘史 ~SG-1000、メガドライブ、サターンからドリームキャストまで~(箸:佐藤秀樹/徳間書店)

(ライター 早川清一朗)

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