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アニメと異なる道を進んだ、漫画『風の谷のナウシカ』。残酷さと絶望に挑んだ理由とは

マグミクス / 2020年12月25日 18時10分

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■宮崎監督は満足していなかった、ラストシーンの「奇跡」

 2020年最後の「金曜ロードSHOW!」を飾る作品として、宮崎駿監督の劇場アニメーション『風の谷のナウシカ』(以下、アニメ『ナウシカ』)が放送されます。「マスクをしないと生きられない世界で、一人の少女が未曽有の危機に立ち向かう―。今だからこそ見て欲しい、未来に希望を繋ぐ宮崎駿監督の名作です」と、同番組の公式サイトは紹介しています。

 確かに、ラストで王蟲に跳ね飛ばされたはずのナウシカがよみがえり、伝説の「青き衣を身にまといし者」を再現する場面は、希望に満ちて感動的な場面でした。

 ところが、このラストシーンに満足できなかった人がいました。宮崎駿監督です。封切り翌日の1984年3月12日に受けたインタビューで、宮崎駿監督はこう語っています。

「ナウシカが王蟲に持ち上げられて朝の光で金色に染まると、宗教絵画になっちゃうんですよね!(笑)(中略)あれ以外の方法はなかったかと、ずっと考えているんです」
(ロマンアルバム『風の谷のナウシカ』徳間書店・刊より)

 もともと宮崎駿監督は、ナウシカの前で王蟲の大群が止まって終わりたかったけれど、映画としての盛り上がりを考えた鈴木敏夫プロデューサーと高畑勲プロデューサーから説得されて、現在の形に変更したそうです。

 このアニメ『ナウシカ』でのラストシーンでの違和感を、その後10年近くにわたり追求し、宮崎駿監督の創作におけるターニングポイントとなった作品が、マンガ『風の谷のナウシカ』(以下、マンガ『ナウシカ』)です。

 評論家の立花隆氏から「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』とか埴谷雄高の『死霊』のような摩訶不思議な哲学的小説並みのディープきわまりない世界」と評されるマンガ『ナウシカ』は、ご存じのとおりアニメ『ナウシカ』の原作に相当する作品で、アニメージュ1982年2月号に連載を開始し、たびたびの休載を挟みながら1994年3月号で完結しました。

 アニメ『ナウシカ』の制作に入るまでに発表されていたのは、単行本全7巻のうち3巻の初めまでで、アニメ『ナウシカ』の物語は2巻半ばまでをベースに再構成されたものです。マンガとアニメでは内容・設定ともにさまざまな違いが見られますが、大きな違いは各国の関係と巨神兵のあつかいです。

■次第に開いていく、アニメ版とマンガ版の距離

マンガ版『風の谷のナウシカ』第6巻(徳間書店)。ナウシカが解き明かした世界の秘密や、巨神兵の復活などが描かれ、第7巻のクライマックスへとつながっていく

 マンガ『ナウシカ』では、トルメキア王国と宗教色の強い土鬼(ドルク)諸候国による戦い、トルメキア戦役が勃発しており、ナウシカが風の谷の代表として同盟国のトルメキア王国軍に従軍するのに対して、アニメ『ナウシカ』では土鬼諸候国の存在を省略し、トルメキア「帝国」が周辺諸国に侵攻している形になっています。

 それ以外に、マンガ『ナウシカ』では単行本6巻の終盤で覚醒する巨神兵の出番を、かなり前倒しにしてクライマックスに持ってきたことが挙げられますが、アニメ『ナウシカ』は、当時発表されていたマンガ『ナウシカ』における該当部分を圧縮して再構成した、乱暴な表現をすればダイジェスト的展開といっていいでしょう。

 しかし映画の公開後、連載が再開後のマンガ『ナウシカ』の物語は、ラストシーンの違和感を検証していくかのように、アニメのそれとは大きく異なる方向に進んでいきます。

 トルメキア王国のクシャナの隊に従軍したナウシカは、土鬼の地に渡り、過酷な戦争とその戦禍を目の当たりにすると同時に、土鬼たちが腐海の瘴気や王蟲さえも兵器として利用しようとしていることを知ります。

 その一方で、一般人の捕虜を労働力として自国に移送しようとするトルメキアにも憤りを感じ、その解放をクシャナに約束させて、ひとり旅立ちます。ナウシカは、かつて王蟲から南に助けを求める森があると告げられ、その森が、腐海が爆発的に拡大する伝説の災厄“大海嘯”と関係があるかどうか確かめたかったのです。

 その道中のオアシスで、ナウシカは土鬼の神聖皇帝に迫害され追放された僧侶と出会い、滅びは必然であり、戦争も大海嘯も世界が生まれ変わるための試練に過ぎない、と諭されます。そこにオアシスを瘴気が襲います。その瘴気は土鬼が封印された旧世界の技術で腐海の粘菌を特別変異させたものでした。その粘菌の暴走によって、大海嘯が引き起こされます。そしてさらに物語が進むと、ナウシカたちが住むこの世界の道理そのものが反転してしまうような事実が……。

■奇跡を塗りつぶすように、執拗に描かれる残酷さと絶望

マンガ版の最終巻となる『風の谷のナウシカ』第7巻(徳間書店)

 アニメ『ナウシカ』で削除した土鬼諸候国はますます存在感を増し、局地戦のように描かれていた紛争はやがて、全世界と生物を巻き込む大災厄へと発展していきます。超常の力を操る土鬼の僧正や神聖皇弟、クシャナの周囲のトルメキア王国内部の陰謀、アニメ『ナウシカ』よりも物語のスケールも深刻さも格段にあがり、戦記もの・終末ものの色が濃厚になっています。

 マンガ『ナウシカ』での腐海と世界の謎を解き明かそうとするナウシカのその旅は、まるで地獄めぐりのようです。アニメ『ナウシカ』のラストで起きた奇跡を執拗に塗りつぶしていくように、世界の残酷な面と絶望が何度も何度もつきつけられます。

 大海嘯という種としての危機を目前としながら、人間同士の争いをやめられない人類の愚かさ。その愚行は過去何度も繰り返されてきたものであるという絶望。そして滅びそのものが必然であるという運命の残酷さ。ナウシカひとりで受け止めるには、あまりに深刻で、解決できるはずもない問題です。

 しかし、それは虚構の物語では描かれていないだけで、現実に存在する問題でした。そしてそれらの現実の問題を解決する術など誰も持っていないのです。大海嘯についても、新型コロナウイルスが蔓延している2020年の世界では、特に実感できるでしょう。

 連載終了直後に行なわれたインタビューで、宮崎駿監督は次のように発言しています。

「映画を終えてみたら、あまり入りたくなかった宗教的領域に、自分がどっぷり浸かっていることを発見して、「これはヤバイ」と、深刻に追い詰められました」

「神様を前提にすれば、世界は説明できますよ。でも、僕にはそれはできない。なのに、人間とか生命とか、踏み込みたくない領域に入ってしまったわけでしょう」
(「よむ」1994年6月号 岩波書店・刊)

 宮崎駿はマンガ『ナウシカ』で、アニメ『ナウシカ』をハッピーエンドに導くために取り入れた奇跡=神の御業を排除して、宗教的な共同幻想さえ否定しながら、この複雑極まる世界に住む人間や生命の在り様を描くことに挑んだのです。その結果、物語は一旦の落着は見せるものの、問題がすべて解決することはなく、その世界が継続していくことを感じさせながら終わります。

 アニメ『ナウシカ』のラストシーンを表す言葉が「感動」だとすれば、マンガ『ナウシカ』のそれは言葉にならないモヤモヤとした気持ち、最後にナウシカが読者に託したセリフ「生きねば……」が重く心に残ります。そして宮崎駿監督はマンガ『ナウシカ』の完結以降、アニメーションでも『もののけ姫』、『千と千尋の神隠し』など、物語の定型から外れた作品を次々と生み出すようになっていくのです。

 同じ根を持ちながら、その幹ははるか別の方向に伸びていったマンガ版とアニメ版『風の谷のナウシカ』。未見、未読の方はぜひ見比べてみてください。

(倉田雅弘)

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