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『STAND BY ME ドラえもん 2』で微妙だった「のび太」の評価。原因は構造的な難しさだった?

マグミクス / 2020年12月27日 18時50分

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■原作のエピソードを再構成すれば原作に忠実になる?

 遅ればせながら、『STAND BY ME ドラえもん 2』(以下『2』)を観ました。2014年に公開された前作『STAND BY ME ドラえもん』(以下『1』)は、『ドラえもん』史上初の3Dアニメということで話題になり、数ある映画『ドラえもん』作品のなかでもトップの80億を超える興業収入を記録しました。

 東宝による公開初日のアンケートによると、20代から40代が客層の4割を占めるなど、『ドラえもん のび太の恐竜』に端を発するこれまでの未就学児から小学生をメインターゲットにしていた2Dアニメの映画「ドラえもん」シリーズとはまた違った、新たなファン層を開拓した作品です。

 それから6年が経過して製作された本作は直接的な続編で、『1』で描かれた「のび太の結婚前夜」の翌日、のび太としずかとの結婚式とその裏側で起こった「のび太失踪事件」の顛末を軸に、過去・現在・未来を股にかけてのび太とおばあちゃん、そしてお父さんお母さんら家族の絆についてのエピソードが展開されます。

 ただ、同作は残念ながら前作ほどファンに受け入れられてはいないようです。原作マンガや2Dアニメの『ドラえもん』に親しんでいる人ほど、本作、特にのび太への違和感を覚えたという声が目立ちます。筆者も鑑賞時に同様の印象を受けましたが、その理由について考えていきたいと思います。

 山崎貴監督らスタッフの原作への愛からか、「STAND BY ME ドラえもん」シリーズは、原作のエピソードのなかから印象的なものを抽出して長編映画に再構成するスタイルを取っています。確かに原作の要素を多くするほど、原作に近いテイストで映像化できるはずでしょう。

 しかし『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』などの読み切り短編形式の原作を長編映画化する場合、オリジナルのプロットを作成するか、あるいは原作の一編を発展させる(『のび太の恐竜』など)例が多いです。これは、読み切り短編の連作と長編作品ではキャラクターの行動やエピソードの展開に求められる質が異なるからです。

■変わらない“レギュラードラマ”と、成長・変化の“ストーリードラマ”

「小説 STAND BY ME ドラえもん (2)」(小学館)。映画公開に先立って発売された

 マンガ『ドラえもん』は、基本的に読み切り短編形式のコメディです。より詳しくいえば、エピソードごとの体験や事件がストーリーの大筋に影響されず、キャラクターもあまり変化・成長しません。ここでは映画監督・脚本家の三宅隆太氏が称している例に従い、こうした作品を“レギュラードラマ”と、前エピソードの体験や事件を踏まえてキャラクターが変化・成長し、物語が連続して展開する作品を“ストーリードラマ”と記します。

 最終的には成長したのび太がしずかと結婚するという“ストーリードラマ”的展開があるにしても、マンガ『ドラえもん』のエピソードの大部分は、のび太の失敗が織りなす“レギュラードラマ”です。

 一方、長い物語を見せる、読ませる必要がある長編の場合、冒頭からラストまでのキャラクターの成長・変化は重要な要素です。つまり、長編は少なからず“ストーリードラマ”の色を要求されているのです。

 ですので、「STAND BY ME ドラえもん」シリーズが、『1』でドラえもんの出会いと別れ、しずかと結婚に至るまでというのび太の成長を軸に据えたのは妥当に思います。もちろん、“レギュラードラマ”に基づいて作られた各エピソードやキャラクターの性格や行動を組み込むわけですから、原作との差異は感じましたが、それは長編用の調整として自分には許容範囲内でした。

 前述の2Dアニメの映画『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』でも、キャラクター描写などで、そうした調整は行われていますが、それぞれ映画単体で成長をリセットするという、“ストーリードラマ”の要素を内包した長い“レギュラードラマ”の形を取ることで、シリーズを重ねてきました。

 それに対して、今回の『2』は『1』の直接的な続編であり、内容も前作同様、のび太としずかの結婚や祖母・両親との関係などを通じた成長を軸としています。

 つまり、「STAND BY ME ドラえもん」シリーズは、『ドラえもん』シリーズでも異色といえる“ストーリードラマ”色の強いシリーズであり、本来は成長・変化しない原作のキャラクターやエピソードを再構成して、成長を描く……という難題に挑戦したといえます。

 マンガやTVアニメなどの“レギュラードラマ”としての『ドラえもん』をよく知る人こそ、「STAND BY ME ドラえもん」シリーズに違和感を抱く理由には、こうした点にもあるのではないかと思います。

■藤子・F・不二雄先生が選んだ、長編映画化の手法

名作エピソード「ぼくの生まれた日」が収録された、マンガ『ドラえもん』第2巻(小学館)

 たとえば、マンガ『ドラえもん』でののび太は同じような失敗を何度も繰り返しますが、それは1話ごとにリセットされる“レギュラードラマ”の特性により、読者も嫌味には感じません。

 しかし、長編映画で“ストーリードラマ”的な変化が期待される「STAND BY ME ドラえもん」シリーズでは、のび太の変わらなさはマンガ以上に強調されてしまいます。端的な例では、シリーズ全体での“ストーリードラマ”色が濃くなった今回の『2』で、前作の『1』での経験から成長したはずののび太(特に大人版)が、変わらずだらしない性格のままであることに違和感を覚えた人は多いでしょう。

 実は筆者もそう感じたのですが、もしマンガの読み切り短編で、大人のび太が同じような行動をしたら……と想像すると、意外に納得できたのです。

 原作では数々の“レギュラードラマ”を重ねたうえで迎える“ストーリードラマ”的展開=のび太としずかの結婚ですが、長編2作とはいえ映画ではやはり時間に限りがあるため、早急に見えて、のび太が幸せになるために『ドラえもん』の世界観が作られているという側面が浮き彫りになってしまったことも、のび太への違和感を招いた理由かもしれません。

 最後に、こうした違和感を“レギュラードラマ”と“ストーリードラマ”の視点で考えようとしたきっかけは、『ドラえもん』の映画化について打診された時の藤子・F・不二雄先生のエピソードでした。『「ドラえもん」への感謝状』(楠部三吉郎・著)に書かれています。

「東映まんがまつり」のなかに、テレビシリーズ『ドラえもん』のエピソードを加えたいと言われた藤子・F・不二雄先生は拒否します。次に小学館とシンエイ動画が、「それなら独立した長編映画で」と打診すると、今度は「僕は短編作家です」と答えます。

 結果、マンガ『ドラえもん』としては異例の中編であった「のび太の恐竜」をさらに発展させて、記念すべき映画『ドラえもん』シリーズの第1作の原作が出来上がるのですが、藤子・F・不二雄先生のなかで長編と短編がはっきりと区分けされていたことがわかります。もしかしたら、読み切り短編形式である原作を長編映画として再構成する難しさを、藤子・F・不二雄先生も気づいていたのかもしれません。

(倉田雅弘)

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