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「孤独のグルメ」がグルメ番組よりもリアルに美味しさを伝える理由

メディアゴン / 2015年11月6日 7時30分

河内まりえ[メディアゴン編集部]

* * *

「孤独のグルメ」(テレビ東京)は、主人公・井之頭五郎(松重豊)が一人で食べているだけのドラマだ。初めて観た時に、筆者ならずとも衝撃が走った人は多いはず。ストーリーは、ほぼない。台詞のほとんどは松重豊のモノローグだ。

インテリア関係の会社を経営している五郎が仕事で出かけた先で、初めて入る店に入って食事をする。ストーリーらしいストーリーといえば、それぐらいのものだ。

しかし、ただ食べているだけなのに、多くの視聴者を魅了して止まない人気ドラマだ。五郎は、事件に巻き込まれるのでもなく、ドラマらしい「ドラマ性」があるわけでもない。

特別な設定があるわけでもない。特別なイベントもないし、ヒロインもライバルもでてこない。主人公がストーリーの中で変化していくようなドラマ的な起伏もない。かといって、グルメ番組でもない。

このようなドラマに、なぜ視聴者は魅了されるのか。何がドラマの人気の根源なのか。

それは、現実と虚構の微妙なさじ加減にあるように思う。

五郎が歩くのは現実の街だ。毎回、はじめに駅が映しだされ、今回、五郎が訪ねた街が紹介される。どこにでもある「最寄りの駅」だ。観光地でもなければ、有名な街でもない「ありふれた近所の街」ばかりだ。

そんな現実の街を歩いて、実在の店に入る。訪れるのは必ず実在の店だけれど、中にいるお客さんや店員は、役者が演じた虚構だ。しかし、演じているからこそ、本来その店が持っている雰囲気を損なうことなく、魅力を醸すことができている。

これがグルメ番組だとそうはいかない。店員も店の宣伝をしたいから、普段とは違う動きをしてしまう。その結果、店が本来持っていた雰囲気は損なわれてしまう。

芸能人たちのわざとらしいリアクションのリポートにしらけてしまう人も多い。何より筆者は、他人が美味しいものを食べているシーンを見せつけられても、おもしろいとは思えない。

だが、「孤独のグルメ」は違う。あくまでも創作の世界、ドラマだ。食べているのは、五郎という虚構の人物だからこそ、五郎に自分自身を投影できる。五郎の食べっぷりを観ていると、とても気持ちがいい。こんなに食べて大丈夫なのかと心配になるくらい、五郎は食べまくる。

料理の感想をストレートに表現する五郎のモノローグも魅力的だ。グルメ番組では絶対に出てこない台詞だからこそ伝わるものがある。グルメ番組のようなわざとらしいリアクションでは絶対に作ることができないだろう。

筆者は小食なので、五郎のようにたくさんは食べられないが、それでも自分が現実の店で思いっきり食べているかのような錯覚に陥ってしまうぐらいだ。

また、どこの店に入るか悩みながら一人で街を歩き、店の前で本当に入るか悩み、悩んだ結果、不安な様子で知らない店に入る五郎の描写も、「いつもの自分」を投影できる重要な要素だ。

店に入っても、きょろきょろしたり、一人飯をしている同志を気にしたりする。一人飯の時、ついつい誰でもがやってしまう行動の数々が視聴者の共感を生む。

注文してから、「やっぱりあれも注文すれば良かった」「隣の人の食べているあの料理が美味しそう」と後悔する五郎の姿も視聴者の共感を増幅させてくれる。

食事を終え、満足げな様子で現実の街に戻っていく五郎。見終えた視聴者誰もが、満腹感を覚えることができるドラマなのだ。

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