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「やらせ」と「演出」の区別は簡単だ

メディアゴン / 2020年11月11日 7時30分

写真

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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したり顔をした人(テレビ関係者など)が「やらせ」と「演出」は、区別が難しいと言う。果たしてそうだろうか。「やらせ」と「演出」の線引きをすればよいだけの話である。

どう線引きをすればいいのだ? と、ものを考えない人が言う。何線引きなどは簡単だ。撮影における<ある行為>が「やらせ」か「演出」か。それは、次のように判断すればいい。

「だれかひとりでも、その行為によって傷つけられる者いれば、それは『やらせ』である」

「だれかひとり」の範疇には、撮影対象者、その関係者、製作・演出関係者、美術・技術・音楽スタッフ。その他すべての制作関係者が含まれる。その中のひとりでも、当該行為によって傷つけられていればそれは『やらせ』と判断するのである。

では、傷つけられたかどうかは、誰が判断するのか。もちろん本人である。それを番組責任者である、やはり、ひとりのプロデューサーが、聞き取って、自分の良心に誓って、こう字幕で宣言するのである。

「この番組には一切『やらせ』はありません。プロデューサー名」

こうすれば、当事者への調査なしに番組が放送されることはないし、無駄で意味のない街録取材もなくなる。責任はプロデューサーにとってもらおう。責任感の欠如したプロデューサーもいなくなる。

[参考]<上から目線の辛口批評>テレビ朝日の『お助け!コントット』

では、『やらせ』をやってはいけない番組とはどんなジャンルの番組か。報道、情報は当たり前。リアリティショウなどと、ジャンルで嘘をついている番組はもちろん、日本に多い「ドキュメンタリー・バラエティ」もダメ。ドキュバラなどと言ってジャンルで言い訳をしておくのはやめよう。トークや笑いだってもちろんダメだ。それから、演出はいくらやってもいいのだから、ドラマも『やらせ』はNGだ。すべての番組に次の字幕を要求する。

「この番組には一切『やらせ』はありません。プロデューサー名」

ドキュメンタリーだから、もとから『やらせ』はありませんと言ってもこの調査から逃れることは出来ない。カメラが回っているという事実そのものが、いつもとは違う演出が入っているということだ。隠し撮り? それだってカメラが入っているだろう。

なんとかしないと世の中は『トゥルーマン・ショー』(監督ピーター・ウィアー)みたいな番組ばかりになる。

もちろん、これらは筆者の私見だ。こんな方法じゃダメだよ、という考えもあるだろう。こういったことのへの議論は大歓迎だし、むしろどんどんすべきだ。

本稿へもたくさんの意見を期待している。

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