<NHK-BS・ナンシー関のいた17年>つまらなくなったテレビをナンシー関はどう語るか?

メディアゴン / 2014年12月26日 4時20分

水戸重之[弁護士/吉本興業(株)監査役/湘南ベルマーレ取締役]

* * *

体型を見て「ナンシー関」をナンシー関(ぜき)と呼んではいけない。ジェシー高見山ではないのだ。

もちろん女子プロレスラーでもない(それはナンシー久美だ)。世界初(たぶん)のプロの消しゴム版画家にして、稀代のテレビ評論家だったナンシー関が39歳の若さで世を去ってからもう12年になる。掘った消しゴム版画の数、実に5147個。

NHK・BSプレミアム「ナンシー関のいた17年」(12月14日放送)は、ナンシー関が編集者やプロデューサーに見出され、活躍し、2002年に亡くなるまでの17年間を、周辺の人々のインタビューを交えてドラマ化したものだ。ナンシー関役は、お笑い芸人コンビの「メイプル超合金」の安藤なつ。本人に瓜二つである。

ナンシー関が、週刊朝日に「小耳に挟もう」を、そして週刊文春に「ナンシー関のテレビ消灯時間」の連載を開始したのが1993年なので、我々がその作品を目にできたのは10年間ということになる。「消しゴム版画+テレビ批評」だけで週刊で2本あげていくというのは並大抵のワザではない。

その対象は主にドラマとバラエティ番組の出演者であったが、同じ題材をこの2誌でかぶって取り上げることはなかったと思う。しかもクオリティを落とすことはけしてなかった。その間、そしてナンシー亡きあとも、ナンシーもどきのテレビコラムは多数登場したが、消しゴム版画という最強の武器を除いても、彼女に比肩するコラムにはついぞ出会えなかった。

視点の鋭さ、時代の切り取り方、対象のいじり方、視聴者目線に徹した矜持、軽妙洒脱な文章。どれをとっても、天衣無縫、他の追従を許さず。

 「私は『顔面至上主義』をうたう。私は見えるものしか見ない。しかし目を皿のようにして見る。そして見破る」

この番組「ナンシー関のいた17年」自体、ナンシーが生きていれば彼女の批評の対象となるはずであったというパラドクスを抱えていた。脚本・演出の戸田幸宏はそのことをもちろん意識していた。

番組の終わり近く、担当編集者だった君塚太(本人)が「ナンシーさんが生きていたら何と言うだろう」と語る。この詮無い問いは、他でも聞いた気がする。戸田が制作にあたり何度となく心の中でつぶやいたことは想像に難くない。

番組は、安藤なつ演じるナンシーの創作シーンと、彼女を見出し、育て、対決した人たちの、インタビューで構成される。本名・関直美に「ナンシー関」と名付けたいとうせいこう。対談を続けたリリー・フランキーや、担当編集者などである。

 「作家は読まれるべきで、見られるべきではありません」

と言ったのは、ヘミングウェイだったか(和田誠の本にそう書いてあった気がする)。テレビに登場し、見られたがる作家が多い昨今、かたくなに視聴者側に徹したナンシーを引っ張り出した。

秀逸だったのが、デーブ・スペクターのインタビュー。この二人には因縁がある。

ナンシーがデーブを描いてコラムの題材にした時のことだ。デーブは別の週刊誌上で反論し、ナンシーについて、

 「他人はみんな嫌いで、自分のことも嫌いに違いない。彼女は手当たり次第にののしることで何かの復讐を続けている」

と辛らつな言葉を投げつけた。

これに対し、ナンシーは「アタマさ、くるなー、デーブ・スペクター」(ドラマでのセリフ)と怒りに震え、徹底的にデーブを描き続ける。

このバトルは筆者も当時、リアルタイムで読んでいた。コラムでの勝負ではもとより勝敗の行方は火を見るより明らかではあったのだが、時を経て、戸田はもう一度、デーブを引っ張り出す。デーブいわく、自分のことを書かれて、面白く反論してやれ、自分も負けないくらい皮肉、揶揄(やゆ)してやろう、と思ったとか(筆者にはムキになって反論しているとしか思えなかったが)。

デーブをナンシーが許せなかった理由として、

 「会ってもいない人のことを書いている。会えばいい人が多いのに。本当のところ深くはわかっていない」

と、なんともトンチンカンなことを言う。しかし、番組の最後では「でも、会ったら意外と気が合うと思うんですよねー」と能天気な笑顔。いやー、やらかしてくれますね。デーブさん。ナンシー関が見たら、ひとこと「けっ」と背を向けるようなインタビュー。お断りしておくが、筆者はデーブさんのダジャレが大好きである(これはホントです)。

劇中、病院の廊下の椅子に、亡くなったばかりのナンシーが座っている。そこでの妹(新山千春)との会話。

 「お姉ちゃん、どうして死んじゃったの」
 「それ、本人に質問すること? テレビがつまらなくなったからだよ。テレビの寿命がナンシーの寿命ってことだね」

違うんだ、ナンシー。テレビがつまらなくなったのは、ナンシーがいなくなったからなんだ。ナンシーならどう観る? ナンシーならどう描く? 作り手も、視聴者も、面白そうな事件やタレントがでてくると、すぐにそう思ったものだ。

そのナンシーも、もういない。番組の最後、ナンシー関の実際の笑顔の写真が写り、「終」のクレジットが入る。それを見ているナンシー関(安藤なつ)のナレーションで番組は終わる。

 「結局、おナミダ頂戴って、どうなのよ? 保険かけてどうする」
 「NHKの限界を見た。合掌」

これ、ナンシーもどきのセリフではあるが、本当にナンシー関が見ていたら「芸にも何もなってないじゃん」と片付けられそうなまとめである。生きてる間も、亡くなった後も、誰もナンシー関には勝てなかった。あたかも無敗のまま引退した横綱のように、今もその強さが語り続けられるのである。

彼女が残した自画像消しゴム版画の横に、こう書いてあげたい。

 「れじぇんど」

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