「最低でも許してくれよ、男は苦しいんだ」という大根仁監督の訴えを、棄却する/福山雅治『SCOOP!』DVD化に寄せて

messy / 2017年4月9日 20時0分

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『SCOOP!』大根仁監督

 昨年10月に劇場公開され、今年3月末にDVDとなってリリースされた本作。福山雅治が冴えない中年パパラッチを演じるということで話題になったが(強制的に話題にしたといった方が正しいか)、実は、1985年に制作された原田眞人監督『盗写1/250秒』(テレビ映画)のリメイクということは、あまり一般的に知られていないかもしれない。というか、私自身もそのことを最近知り、オリジナルを未見のまま(未DVD化のため見られる機会がなかなかない)本作を見たので、脚本の内容自体を大根監督の責任と断言することはできないのだが、いかにも大根監督……と嘆息せずにはいられないナルシシズムとルサンチマンに満ちた映画であることは確かだった。

死んだらセクハラはチャラ?

 冒頭から、“あの”福山雅治がホテトル嬢と思われる女と大胆にカーセックス、ことを済ませたあと冷淡な態度をとりながら本人はしれっとカメラを構えてパパラッチ仕事。そのあとも、金と女にだらしない、セクハラ発言連発のロクでもないおっさん・都城静を福山は懸命に演じている。かつては報道仕事に燃えた過去もあるようだが、今ではすっかり大衆週刊誌の雇われカメラマンとして堕ちている静。そんな静の元に、雑誌「SCOOP!」の副編集長から、二階堂ふみ演じる新人記者の行川野火が送り込まれ、お互い憎まれ口を叩きながらも、だんだんと信頼関係を築いていく。

 ふたりが次々とこなしていくパパラッチ仕事は、売れっ子アイドルの夜遊び現場やプロ野球選手のご乱行、政治家と女子アナのスキャンダルなど、どれも下世話極まりない。新人の野火はつい「この仕事ってサイテーですね」と口走る。それに対し、「世間の人間はそれを見たがってるんだよ!」と声を荒げる静は、あたかも、自分たちの仕事は必要悪であり、みんな(大衆)が嫌がることを引き受ける、ある意味立派な仕事だと言いたいようだ。そして、この監督はこの映画を通して、観客に対しても、あなた達もそっち側(大衆)の人間なんだろと突きつけて見せる。そのうえで自分の身代わりとして福山雅治に「色々とロクでもないけど、実はええ奴」を演じさせることによって、自分自身を美化させたいようだ。

 だが静の言い分を観客はそのまま受け取って良いものだろうか。特に、若くて才能ある俳優が週刊誌のスクープ気取りな記事に耐え切れず芸能界を去るという理不尽極まりない事件が現実に起こってしまった昨今では、看過できないだろう。



 ここでわたしたち(観客)に他人のスキャンダルを楽しむサイテー性を突きつけ、凡庸な消費者を批判する一方で、映画は主人公の静を、つまり福山雅治というスーパーヒーロー街道に立ち続けてきた役者を、結局なんだかんだでヒーロー的に描く。静に対しての視点は、サイテーでオッケーに終始している。聞くに堪えない時代錯誤なセクハラは、仕事仲間の意味不明な結束(ええ話)や、憧れのカメラマン(ロバート・キャパ……)への熱い思いで目くらましさえれたうえ、最終的には本人が死ぬことによって美談を極めるのだが、部下の女性が処女か非処女か予想する賭けを行っていたことが「ほっこりするエピソード」として成立するほど、わたしたちの世界はサイテーではないし、福山雅治(=イケメン)を甘やかしはしない。よってこの映画の批判性には意味がなく、ただのサイテーに終始するのだった(カメラを銃代わりに、と言いたいならば、撃った本人を殺したところで問題は何も解決しないことくらいわからないのだろうか)。

 権力に楯突くアウトローがかっこいいのは、あくまで、そいつが「実はええ奴」だからではなく、どこまでもアウトローだからではないか?

男は男を批判できないのか?

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