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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#54 砂糖抜き

NeoL / 2018年5月15日 7時56分

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#54 砂糖抜き



今月は、砂糖を抜いてみた。


 幼い頃から大のあんこ好きで、缶詰のゆであずきを一缶ぺろりといける口だったが、さすがに最近は加齢のせいか、摂取可能量もかなり目減りしてきた。5個はいけた豆大福も、今ではひとつで十分である。それでも手切れとならなかったのは、口から、舌から、胃から広がる多幸感故である。特に仕事で疲れた後の大福は、ささやかなれど、自分への最高の労いであり、もぐもぐしている瞬間の私は、紛れもなく、大いに幸せなのである。
 そんな私が、大福抜きとなる砂糖抜きを敢行しようとしたのだから、相応しいきっかけがあってもよさそうだが、これが無い。言わば、好奇心からだけである。巷に広がっている砂糖の害に関する諸説に対して、自分の経験を添えて実証してみたかった。
 こういう時の私は一切迷いが無い。大福の食べ納めもせずに、すぐに抜き始めた。
 結果から先に述べれば、砂糖抜きのこの一ヶ月は、体調が安定して良く、心もすっきりしていた。自分の心身が、自分のものとしてある実感があり、疲れが溜まりづらく、身軽で、若々しく過ごせたと思う。自分の身体がイメージ通りに動く、もしくは在るということは、どんなに快適かとういことを、よく知ることができた。
 さきほど、砂糖抜きを試みるにあたって、確たるきっかけがなかったと記したばかりだが、実は、砂糖を摂ったあとでの重たく眠い感じは、はっきりと悩ましく感じていた。身体には明らかに負荷が掛かっている自覚はあったが、心への癒しと天秤にかけて、まあいいだろうと判断していたのだ。
 心身を細かく区分せずに、全体的に判断する「まあいいだろう」は、ホリスティックなバランスを取ることを大切にする視点として間違っていないとは思うが、プラマイゼロを誤魔化しの方便に使うのも限度があるだろうと感じた頃が、言わば替え時なのかもしれない。若さや体力で有耶無耶にできる事にもタイムリミットがあるのは仕方がないことだ。それを受け入れるのは、まだ心の柔軟性があるだけ、ましなのだろうと思う。
 砂糖の功罪については、結構知れ渡っていると思うが、自分への復習にもなるので、以下にまとめてみた。


 メリット
  おいしい!と心の中でため息をもらし、時に叫び、時に身悶えし、時に笑顔になり、ちょっ
  とした悩みも「まあ、いっか」とうっちゃれる。
  つまり一時的な高揚感。


 デメリット
  これはネットでざっと検索をかけると、
  鬱、癌、肥満、消化不良、白内障、糖尿病、成長ホルモン減少、骨粗鬆症、虫歯、早老、視 
  力低下、免疫力低下、関節炎、眠気、頭痛、アルツハイマー、月経前症候群悪化、
  などの原因となるとして羅列されている。


これらが全て正しいかどうかは、専門家ではないので判断しかねる。なので、検証的なことは、ここでは一切省いて個人的な思いを中心にして話を進めたい。
 

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 ネットのそれぞれの説には、科学的な説明などされているので、興味を持たれたなら、いろいろなブログやページを覗いてみる価値はある。砂糖には百害あって一利なしというのが、大方の論調だが、健康飲料として有名な酵素ドリンクは白糖を使う。実際その効果を認めつつも、作る過程で白糖をたっぷり使うことに抵抗がある人も多い。それに対しては白糖だからこそ効率的に植物の有効成分を浸透圧効果によって抽出できるという説明がされている。それでもやはり白糖を使う点で酵素ドリンクは受け付けられない人がいても不思議ではない。結局、何を摂るかは勘も含めてその人の判断であるからだ。
 この辺のことを、もうすこし言うと、結局成分だけでは説明しきれない食物の効果が在るという私の勝手なイメージが前提にあって、さらにそこには個人の心身の差が生む相性もあるだろうから、美味しいと喜んで口にするものには、きっとその人にとって良い物として成り得るのだろうと思う。ただ、体調への影響など、マイナス面が自覚され、それが気になり始めたら、その食べ物とは一旦距離を置くタイミングなのだろうと思う。
 ただ、砂糖は依存性が高く、過剰摂取していると体がサインを出していても、それに対する冷静な判断力を鈍らせてしまうらしいので、そこが厄介ではある。暑い日が続く夏には、コンビニの前を通ると、ついアイスクリームボックスへと引き寄せられがちだが、意識的に砂糖を抜く週を作ったりして、それ自体を習慣化できたら最高であるが、なかなか難しくもある。友人を誘って励ましあいながら、遊びの一つにしてしまうのも手ではある。
 それが、科学的なものだとしても、学説というのは後年に覆され更新されることが、ままある。現時点での常識が、100年後、いや半年後には、笑われることさえ起こり得る。特に健康や美容に関することは流行もあるので、自分に合うかどうかは試してみることだ。


 ひとつの方法に執着せずに、映画を見るような気軽さで、遊び半分な気持ちぐらいで試すのが私にはちょうどいい。
 今回の砂糖抜きも、ひとつの遊びでもあった。
 食後のデザートがこの世から消えてしまった世界の残酷さを、私は一ヶ月だけ覗いてみたのだが、案外それほど悲劇的なものではなかった。日によっては清々しささえ感じるほどで、ずっと聴いてきたバンドが解散したよりも重要ではなかった。
 愛着というのは習慣化された執着のようなもので、無くなってしまえば、案外さっぱりしているものだ。スーパーでゆであずき缶を見かけても、アンテナはぴくりともしなかった。人は時に曲がり角をわけなく曲がれるものだ。
 

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 さて、砂糖抜きも一ヶ月となった頃、改めて砂糖を体に入れ、その反応を見てみようとした。砂糖抜き自体は、そんなに大変ではなかったけれど、自分へのご褒美として、大好物(だった?)の豆大福を選んだ。タイミング良く沖縄にオープンしたばかりの和菓子カフェ羊羊(ようよう)へ意気揚々と繰り出して、現時点で全ての品物となる豆大福とどらやきを買った。店主がこだわり抜いた材料と、ディスプレイの心地よさは、まるでマラソンランナーがゴール後に祝福を受けているようであった。
 私はそれらを生まれたひよこを両手でつつもように自宅へ持ち帰り、テーブルの上に並べて写真を撮ってから、いただいた。
 まずは、豆大福である。余談であるが、自分は好きなものから真っ先に食べる。その習慣そのままに、手に乗せると柔らかさから形を変えてしまう前に口へと運び、笑顔のようなものを浮かべてパクリとやり、時が止まるのを感じた。これ以上は私の筆力が追いつかないので割愛する。とにかく旨かった。とにかく旨かった。そしてしみじみとした。そして気づいた。大福は、それほど私に負荷をかけないと。
 何のことか言うと、察知したのだ、大福との相性には何も問題ないと。砂糖たっぷりのあんこが入っているのに、あんこは大丈夫だと分かった。科学的な見方からすれば、かなり適当な感想と失笑されるだろう。消化され、吸収された以後の反応こそが大切であって、口に入れた瞬間の思いなどは、ただの思い込みにすぎないと。
 私もそれはそうかもしれないと考える。だが、本当に悪いものは口に入れればある程度分かるのではないか?という考えを否定できない。
 次にどらやきを食べた。これまた時が止まるのを感じた。美しい、とさえ思った。だが、何か違和感がある。耳を済ますように体調に注意していると、途端に体が重くなっていくのが分かった。砂糖と小麦粉との組み合わせが悪いのだろうか、もしくは油なのだろうか。もしくは大福とどら焼きを続けざまに食べたことで、白砂糖へのキャパを超えたのだろうか。
 砂糖と小麦粉との組み合わせとしては他にもクッキーがあるが、確かにその手の焼き菓子を口にすると、同様に体が重くなるのが常だったことを思い出した。これも科学的な根拠などなく、個人の感想である。
 とにかく、砂糖と小麦粉との組み合わせが、私には良くないようだと察した。これだけの発見でもありがたい。苦手を知れば、少なくとも避けることはできる。
 

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 翌日、私は黒糖を一片齧ってみた。精製されるまえの濃い茶色のそれは、私には何の害もなさそうだった。沖縄の人は、白砂糖が沖縄に入ってくる以前は、この黒糖に親しんでいた。もちろん黒糖だけにその理由があるわけではないだろうが、黒糖時代の沖縄の人は長寿で有名であった。そういえば、家で簡単にパンを焼けるホームベイカリーで、白糖の代わりに黒糖を使った食パンを以前は良く焼いていたものだった。家族は白いパンが好きで、黒糖入りを喜ん食べていたのは私くらいだったので、食卓から絶えて久しいが、そろそろ何気なく復活させるのもいいかもしれない。
 子供というのは反応がいい。長男は白糖入りの食べ物を摂った後で、かなり舞い上がる。いわゆるシュガーハイだ。お土産などでいただいた饅頭などを連日せっせと食べ続けると、メンタル的に不安定になり、機嫌の上下が激しくなるようだ。風邪や発熱時には、しばらく白糖入りのものを抜くだけで、回復が早まることを本人も経験的にわかっている。それでもまた白糖を食べ始めるのは、やはり美味しいからだろう。美味しいと毎日食べたくなって、白糖の特徴でもある中毒性に捕まる。そして体調を崩し、また白糖を抜く。長男はそれを繰り返している。
 白糖入りのものが家にないように、こっそり心がけているが、和食や調味料などに入ってくるものは、まあ仕方なしとやはり緩く捉えている。部活の練習後の、アイスクリームはとっても美味しいようだ。緊張が緩んで優しい気持ちになれる。それはある意味、バランスを取ろうとしているのだろう。張り詰めたら次には緩める。それを心身が必要として、アイスクリームを必要とするのなら、まあいいじゃないか、と楽観的な態度で対応している。毎日大福を食べている90歳を越える老人がいる例もあることだし。


 白糖を、いわば健康の敵として生活から排除することは、意識が高く意志が固い人、また目標を設定してそれを遊びのように楽しんで取り組むことが出来る人達にとっては、それほど難しいことではないかもしれない。
 私は、後者なタイプなので、まあ楽しく試める。だが、ストレスを感じてまでやらなくてはいけないことは、砂糖抜きに限らず、世の中にはそれほど無いのではないかとも思う。幸せとは、思いつめないこと、やりつめないこと、の横にふわりとあるのではないか。


 私は食べられないものを見つけようとしているのではなく、それぞれの食べ物との付き合い方について知りたいだけなのだ。なので、これからも私は大福を食べ続けるだろう。どらやきはあまり食べなくなるだろうけど、全く食べないことはない。年に一度しか会わない大切な友人のような付き合いが、食べ物に対してあってもいいと思う。だが、ゆであずき缶よ、君とはお別れが来たようだ。






※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#55」は2018年6月14日(木)アップ予定。
 

関連記事のまとめはこちら


http://www.neol.jp/beauty/

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