日系ブラジル人の足跡(後編)

NewsCafe / 2014年2月8日 9時0分

・「勝ち組と負け組の抗争」

戦況を唯一入手できる日本語新聞の廃刊により、ポルトガル語を解さない日本人が情報断絶状態に置かれデマが横行した。「日本の降伏はブラジル政府のプロパガンダ」とし事実を受け入れない人々が奥地の農民を中心に続出。負けを認める日系との間で愛国心をめぐる争いが勃発する。これがいわゆる「勝ち組」と「負け組」との抗争だ。
事実を認識する活動が日系移民の間に広まるも、詐欺師たちは認識運動を妨害するためにテロ事件をおこし、非日系ブラジル人との大規模な衝突まで発生する始末に。
さらに、この状況を利用したガリ版刷りの偽ニュース売り、無効になった旧日本紙幣や軍票をうる偽札売りなどの日本人成功者を狙った詐欺が横行した。信じがたいことに、詐欺の首謀者たちは日本人だった。その後も対立は続いたが、1950年後半ごろには融和が進んでいった。しかし、その溝は完全に埋まることなく、「負け組」の人々は戦後体制に適応し成功した人が多かった。日本との国交も回復し、移民受入を再開した。戦後、ブラジル日系社会は最盛期を迎える。

・「日系パイオニアの功績」

かつてブラジル中西部にセラード(日本の国土の5.5倍)という広大な不毛地帯があった。ブラジル政府はこの広大な土地をどうにか活用したいと頭を抱えていた。
四半世紀後、このやせた土地は南半球最大の農業地帯に生まれ変わった。
ブラジルで言い伝えられている言葉がある。「ジャポネス・ガランチード」=「日本人なら信頼できる」
この言葉の背景にあるのは、日系人の勤勉さ、誠実さ、日系人の苦労を知るブラジル人らから広まった言葉だ。ブラジル政府は「ジャポネス・ガランチード」の言葉を頼りに、日系人を開発のパートナーとして選出した。日本政府の資金協力もあり、ダイズ、コムギ、トウモロコシなどが栽培され、農業地帯へと変貌した。他にも、不可能と言われてきたブラジルでの茶の栽培にも成功し、ブラジル政府から表彰されるなど、日系がブラジルにもたらした知恵の数々と功績は、現在もブラジル人の食文化に多大な影響をもたらしている。そんな、日本人の「勤勉さ」や「ど根性」が生んだ功績に、戦後の驚異的な成長をもたらした日本の姿と重なりあう。

・「日系人に対する高い評価」

1950年代以降、ブラジル生まれでブラジル人としてのアイデンティティを持った「2世」「3世」が社会へと巣立ってゆく。
移民時代は一次産業に従事する者がメインであったが、2世の時代になり医師やエンジニア、中には国政に携わる者もでており、多くが要職を占めるようになった。
戦前の移民らは2世に教育を投資した。2世の資質として多数派社会に吸収されることに消極的であったこともありこの結果を生んだのかもしれない。
親の世代が築き上げた「ジャポネス・ガランチード」を受け継ぐ日系ブラジル人は各方面においてもやはり評価が高く、信用を誇っている。

・「現在の日系ブラジル人」

現在、非日系人との異民族間結婚が進んでおり、3世で60%、4世では80%ほどが混血といわれている。こういった流れから「日系ブラジル人」という定義付けは複雑になりつつある。
また、一昔前より、何世代にも渡って築き上げてきた日系コミュニティも若年層離れなどの問題を抱え、時代の波が押し寄せている。
しかし、若年層のコミュニティー離れもあるが「ミス日系コンテスト」や、日系合同パーティーなど若い文化を取り入れた新たな試みで日系ブラジル人の交流を引き留める活動も出始めている。
100年前に渡ってきた日本人のDNAを受け継ぐ日系ブラジル人。戦後のブラジルで活躍してきた移民らのDNAは、今後のブラジル社会でも大きなことを成し得てゆくだろう。

【執筆者:王林】

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