大川小学校をめぐる国家賠償請求訴訟

NewsCafe / 2014年5月21日 15時0分

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大川小学校をめぐる国家賠償請求訴訟

児童74人が津波の犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校の避難行動や事後対応をめぐる国家賠償請求訴訟は19日、第一回口頭弁論が行なわれました。この日は、遺族の意見陳述が行なわれました。また、従来ですと、被告の宮城県や石巻市側の答弁書が提出されたことを確認するまでですが、その答弁書を読み込んでさらなる求釈明を出しました。回答期限は7月下旬。第2回の口頭弁論は8月26日。

この日は第一回とあり、多くのマスコミや遺族関係者らが傍聴券を求めて集まりました。仙台地裁では傍聴券の希望者の締め切りが午前10時30分。この段階で記者席や関係者席を除いた「53」の傍聴席を求めて、60を超える希望者がありました。抽選の結果、私も当選し、傍聴ができました。10時40分過ぎ、原告団が同地裁に入りました。

通常、民事裁判は書類のやりとりが中心です。そのため、原告の意見陳述はこの回を逃すとほとんどありません。最終弁論のときに意見陳述があるか、どうかでしょう。途中では証人尋問が焦点となります。その証人に、唯一生存した教諭の証人尋問を要請しました。これまで生存した教諭は、事実と異なる説明を遺族側にしています。当初は津波にのまれ、裏山で一晩明かした、と言っていましたが、実際には津波をかぶっておらず、震災当日の夕方あたりに裏山の反対側の自動車整備工場に避難しています。そのときに学校関係者とは名乗っていません。

もちろん、心理的なストレスによって虚偽の事実を話してしまった、ということも考えられます。一方で、津波をかぶっていないということは、何らかの理由で、津波襲来時には裏山に一人だけ逃げていたことになります。「山さ、逃げっぺ」と子どもたちが裏山に避難する言ったりしていましたが、先生たちはそうした子どもたちをなだめ、校庭に50分間待機させていました。津波を見た住民たちはすばやく避難行動をし、学校を通過するときも「早く逃げた方がいい」と言っていたともいいます。

裏山への避難は現実的だったのかどうかも争点の一つです。震災2日前の地震のとき、津波注意報が出されました。学校長は教頭と裏山に避難することを検討しなければなたないとの話し合いがあったとされていますが、具体的な検討はされませんでした。ただ、授業で裏山に登った学年もありますし、しいたけ栽培をしていた箇所もありました。また子どもたちは裏山で遊んでいた経験もあります。しかし、当時は裏山ではなく、新北上大橋のふもとにある、通称三角地帯に避難します。津波が遡上する新北上川に近づくことになったのです。

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