佐世保同級生殺害事件

NewsCafe / 2014年7月30日 15時0分

長崎県佐世保市で高校1年生の生徒(16、逮捕時15)が同級生を殺害した事件が起きました。
10年前に佐世保市で小学校6年生が同級生を殺害してから、「命の教育」に力を入れて来た中での出来事であり、
関係者が衝撃を受けていることがと報道を通じて、伝わってきます。

報道によると、加害生徒は7月26日午後8時頃。マンションの自室で、同級生の女子生徒(15)の後頭部を鈍器のようなもので殴り、
ひものようなもので首を絞めて殺害。遺体の一部(首や左手首)を切断したとされています。加害生徒は高校進学後の4月から一人暮らしをしていました。

この事件報道を目にしたとき、10年前の小6同級生殺害事件が頭に浮かびました。加害生徒が5歳のころの出来事です。
市内は騒然としていたはずですが、この事件が及ぼした影響の有無が気になります。市教委は10年前の事件後、「命の大切さ」を訴える教育をしてきました。
私は以前から、薬物教育のスローガン「ダメ!絶対!」と同じように、「正しいスローガン」を打ち出すことで、ある層の生徒たちの心には届くかもしれないが、別の層には届かないと思ってきました。

届かない層とはどんな生徒たちかというと、一つは、生きづらさを抱えながら自分を大切にできない人たちです。
自分を大切に出来ず、自傷行為や自殺未遂を繰り返し、または自殺願望を持っている人は、むしろ「死にたい」や「消えたい」と思っています。
自分を大切にできないでいる背景を抑えなければ、「命を大切に!」はむなしく聞こえるだけです。

また、なんらかの暴力的な衝動を抱き、時として殺意に似たようなものを感じている人にも、他者への共感性が欠如しており、
先ほどの「生きづらさを抱えながら自分を大切にできない人たち」とはやや質が違うのですが、自分も他者も大切にできないでいるといった心理状態が働くことがあります。

これらの感情が思春期の一時的な心理状態でるのか、家族や友人の関係性によるものなのか、将来への不安なのか、精神疾患の要素によるものであるのかは、
教育現場での判断はなかなか難しい面があります。
そして、少年少女がなんらの理由で暴力性に支配された場合、自分に向くのか(自傷、自殺)、他人に向くのか(傷害、殺人)かは個人によって現れ方が違ってきます。

今回の加害生徒の場合、小学校6年生のころ、別の児童の給食に漂白剤などを混入させるという出来事がありました。
過去に何度も小動物を解剖しているとの話もあります。また、一人暮らしをする直前に、父親に金属バットで殴りかかっています。
このとき、行動だけに着目し、指導してしまったのではないかと思っています。
行動自体ではなく、その背景となる心理的な状況を考察することができたはずではないか、と思えるのです。
分かりやすいサインを出しながらも、ことごとく見逃して来たことになります。

ただ、様々な背景・要因がありながらも、計画を立て、準備をしたとしても、
実際に実行するのか、計画・準備だけで終わるのかでは、まったく違います。
多くの少年少女の話を聞いて来た経験からすると、「人を殺してみたい」と思った少年少女だとしても、計画を立てたり、準備をするのは珍しいことではないように思います。
しかし、ほとんどの場合、実行に移さないのです。この壁を超えるものが何だったのかを探ることが、
事件を理解する一助になるのではないでしょうか。

[ライター 渋井哲也/生きづらさを抱える若者、ネットコミュニケーション、自殺問題などを取材 有料メルマガ「悩み、もがき。それでも...」(http://magazine.livedoor.com/magazine/21)を配信中]

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