差別と戦った日系人部隊

NewsCafe / 2014年8月15日 9時0分

写真

差別と戦った日系人部隊

全米には100万人を超える日系アメリカ人がいる。日本をルーツに持つ日系人は、各分野で大きな功績を残す人物を輩出してきた。その一人に、米大統領継承順位第3位となる上院仮議長となった故ダニエル・イノウエ上院議員がいる。イノウエ氏は、第二次世界大戦時に米陸軍に従軍し、数多くの栄誉を受け、陸軍での最終階級である陸軍大尉まで上り詰めた人物だ。イノウエ氏はこう言う。
「日系人に対する日本側の理解が少ない。」
1942年2月、アメリカは日本との交戦により、日系アメリカ人らを「敵性外国人」とみなし、西海岸に住む日系人ら約12万人が強制的に立ち退きを命じ、僻地に設けられた全米10カ所の収容所に強制収容した。日本と同じ立場にあった独伊の移民が釈放される中、日系人は特に厳しい差別を強いられていた。そんな差別に立ち向かった日系二世の青年たちによる勇敢な記録がある。

■米で最も栄誉ある部隊
米軍には二度と塗り替えることのできぬと言われている記録が存在する。その記録とは、戦闘団で総計、約18,000超の勲章や賞を授与された、ある部隊の記録だ。それらの勲章には、アメリカ合衆国議会における最高位の賞である「議会名誉黄金勲章」なども含まれており、この戦闘団が如何にアメリカにとって栄誉であったかを証明している。その戦闘団とは、第442連隊戦闘団、日系アメリカ人のみで構成された陸軍部隊だ。

■待ち受ける試練
1941年12月の真珠湾攻撃に伴い、米は日本に対して宣戦布告。米軍は日本軍のハワイ侵攻及び本土進攻が近い内に行われると予想し、対策として日本人の文化や性格をよく知るハワイ出身者の日系二世からなる第100歩兵大隊が編成された。自分たちのルーツである国を敵にまわし、1943年8月、北アフリカに向けて出陣。大陸を渡り、彼らを待ち受けていたのは、「なぜジャップがこんな所にいるんだ!」と友軍からの奇異の視線と差別だった。彼等を傘下に加えようとする部隊などおらず、第100歩兵大隊はほとんど独立部隊として各地を転戦する事を余儀なくされた。しかし、ある時を境に本部は、第100歩兵大隊の存在を無視することができなくなる。

■ヨーロッパ戦線での活躍
ナチス・ドイツをはじめとする枢軸国の間で激しい戦闘が繰り広げられていた伊戦線、世界最強のエリート部隊「独軍降下猟兵」を初陣から迎え、上陸後わずか一週間で死傷者40名を出す激戦に見舞われた。しかし、友軍が戦線を放棄して撤退する中、第100歩兵大隊だけは頑として戦線を離れず、壮絶な銃撃戦の果てに勝利をもぎ取ったのだ。その後も息つく間もなく、硫黄島と並ぶ規模の激戦「モンテ・カッシーノの戦い」に加わり、強力な砲火に晒され苦戦を強いられた。両翼の英軍、仏軍は全滅し、第100歩兵大隊だけが戦線に取り残されることに。友軍は、戦いの序開きで敗走、武・食・医も尽き部隊には負傷者しかいないという極限の中、第100歩兵大隊は深く塹壕を掘り、ただひたすらに戦い続け、いまや第100歩兵大隊は最前線に唯一残された橋頭堡となっていた。やがて、物資が尽きた独軍が後退を開始し、第100歩兵大隊は機を見計らったように先陣に立って追撃。この攻撃が呼び水となりモンテ・カッシーノの戦いを勝ち抜いた。米軍は、この戦功を讃え、数千人規模の大部隊である「日系兵士部隊442連隊」の創設を認め、西部戦線における米軍の精鋭部隊となる。

  • 前のページ
    • 1
    • 2
  • 次のページ
NewsCafe

トピックスRSS

ランキング