写研での文字制作(4) 文字盤をつくる

NewsInsight / 2019年5月14日 10時0分

1963年(昭和38)以降1995年までのあいだ、写研で開発したほとんどの書体の監修をつとめてきた橋本和夫さん。その文字制作について、あらためて聞く第4回。今回は、文字盤の製作についてまとめたい。

詰め組みは原字部門泣かせ

写植が広告などでよく使われるようになった1970~80年代、「詰め組み」が流行した。「詰め組み」とは文字どおり、字間を詰めて組むこと。この時代、広告のキャッチコピーやタイトルなどの大きな文字は、とりわけ“詰め詰め”で組まれたものだ。 


1970年の広告から、詰め組みの例。文字がくっつくかどうかのギリギリまで詰めている

「詰め組みは、ぼくたち原字描きにとっては罪な流行りでしたね……。ベタ組みであれば、字間がすこし空きますから、隣り合う文字同士の線の太さに多少の差があっても目立たない。ところが詰め組みの場合、文字がくっつくかどうかのところまで詰めていましたから、隣り合う文字同士の線を比較するようなことになり、線の太さや黒みのムラが目立ってしまったんですね」

文字品質の追求がシビアに行われるなかで、それにこたえる原字をつくっていくには、とにかく「見る目をよくすること」だったと橋本さんはいう。

「スケッチして墨入れをして原字を描くという実技も大事でしたが、原字部門の人には、原字を比較し、どうしたらよく見えるのかを評価する能力も求められました。どんな文字同士を組み合わせても組版にムラの出ない、品質の高さをもつ文字をつくるためには、どう修正したらよいのか。そういう目で原字を評価し、制作していましたからね。だから、当時の写研の原字部門にいた人たち(現在も書体デザイナーとして活躍している藤田重信氏や鳥海修氏、今田欣一氏、小林章氏など)は、書体を見る目がかなりあるのではないかと思います。そういう教育をされていたので」

奥歯を噛み締めた文字をつくる

「見る目をよくする」教育とはどういうことだったのだろう?

「監修者のぼくやチーフの検査を受けるだけでなく、制作している人同士が互いに評価していたんですね。自分が描いた原字を評価してもらう一方で、人が描いた原字の評価も行う。この、『人の原字も評価する』ということが大切なんです。自分の描いた原字しか見ていないと、自己満足でなんでもよくなってしまう。けれど人の描いた原字を見ると、岡目八目じゃないけれど、かえってその出来がはっきり見えるんですね」

橋本さん自身、描くというより監修という立場だったからこそ、文字の出来不出来がよくわかったという。

「ひと目見てパッとわかるんですね。『あ、これはダメ』と。そうやって厳しく品質管理をしていましたから、写研から出した書体にはあまり『ええっ?』と思われるようなものはないのではないかと思います。写研の書体は、ウイークポイントが少ないというか、訴求力があるというか。どんなコンセプトのものでも、その書体なりにまとまっていたのではないでしょうか」

「ぼくは原字の人たちによく『奥歯を噛み締めた字をつくりなさい』と言いました。身体の力を抜いた状態ではなく、奥歯をグッと噛みしめると、精神が少し締まって緊張する。そういう状態で対峙したほうが、文字の出来がはっきりと見える。だから、奥歯を噛み締めたときによく見える文字をつくりなさい、と伝えていたのです」

文字盤製作というブラックボックス

原字制作についてはいろいろ話してくれた橋本さんだが、文字盤の具体的な製作工程の話になったとたん、言葉を濁した。

「そこは一番の企業秘密で、写研が外部に明らかにしなかったことなんです。特に明かさなかったのは、ネガフィルムをつくる部分ですね。写研には時々見学者がいらしたのですが、原字部門や後工程については、廊下からも窓ごしに作業の様子が見られるようになっていました。しかし文字盤のネガフィルムをつくる部門だけは、そのフロア自体にそもそもエレベーターをとめず、見学コースからはずしていました」


サブプレートと呼ばれる写研の小さな文字盤には、横21×縦13で273文字が収録されていた。この書体は「タイポス45」

写植機をつくるところも見学可能だったというから、原字を文字盤のネガフィルムにする部分は、写研にとってもっとも秘密にしたい心臓部であったといえる。

「機械は入手して分解すれば、どういうしくみになっているかがわかります。原字を描く作業も、他社でも行っていることなので、だいたい想像がつく。しかし原字を縮小撮影して文字盤用のネガフィルムにする工程は、撮影していることは想像できても、具体的にどのようにして精度を出しているかは、フィルムを見ただけではわからない」

「写研の見学者はまず、原字制作を見せてもらう。『手で描くんですか、大変ですね』なんて言いながら部屋をのぞく。そして次に通される部屋では、原字はすでに文字盤になっており、『これが完成した文字盤です』『そうですか』というやりとりが交わされるという流れでした」

筆者は、これまで写研関連の文献を読んでいても、文字盤制作のところだけがぼんやりしていて具体的な工程が見えないと感じていた。その理由が、橋本さんの言葉からようやくわかった。

 (つづく)

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。

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